最近の記事

私の中の5歳の女の子へ

私は私のいちばんのサポーターだった? この記事を思い出して読んでみたら、すごくほっこりした。 どれだけ自分を応援できていたかな。 どれだけ背中を押せていたかな。 どれだけ一緒に楽しめていたかな。 どれだけ芽を摘まず自由にやらせてあげていたかな。 どれだけ見守ることができていたかな。 まず箱を準備してしまう。そしてそこに当てはまりに行こうとしてしまう。 それは、人との関係性や役割、立ち位置、常識…箱は、私を不自由にする。力を失わせる。 どれも全部必要なくて、本当はもと

    • 単調さが苦手だからこそ、きっと色彩豊かな世界を生きていける。

      決まった日・同じ時間・同じ場所で、同じような事をすることが、本当に苦手だ。幼いころから。 そんな自分との付き合い方がいまいちつかめずに来たけれど…自分のペースというものをじっくり理解して、極めてみるのもいいのかもしれない。 例えば、毎日同じ形式でSNSに投稿しよう!と思っても、難しい。できなかった時に、「できなかった…」と思ってしまうし。できたとしても「ふ~…」ってなる。 平日に毎日同じオフィスに出勤して、同じようなことを同じ時間やるのも苦手だ。飽きてしまうし、疲れてし

      • 無意識に受け取ってしまったエネルギーを”お返しする”ということ。

        人は思っている以上に他者のエネルギーを無意識に受け取って生きている、という情報を受けてから、なんだかそれが頭に残ってふとした時に浮かぶようになった。 情報っていうのは、たまたまネットで見た『ずっと一緒にいた人と離れてみて、初めて自分が我慢していたことに気づいた』っていうエピソード。 私も過去、一人暮らしを始めた時に、『今まで他者のペースで暮らしていたんだな。』『私にも自分のペースがあって、それに従うと心地いいんだな。』と発見したことがあったから、「うんうん、わかるわかる」

        • 光になろうとしなくたって、光だった

          今まで欲しいと思ってきたもの 本当にそんなに欲しかったものなのかな? 私がやりたいってずっと言っていること 本当にそんなにやりたいことなのかな? そんな疑問が漠然とあった気がする。 ずっと怖い怖い言っていて、 変わりたいけど変わりたくなくて、 少しずつ変わりながら、 変わるために変わりながら、 進んできた。 変わった先の自分はこんな感じ! という在り方が前よりも明確になって じゃあ今の日々の中で、その在り方を取り入れるとしたら、私は何をしていて、何をしていないだろう

        私の中の5歳の女の子へ

        • 単調さが苦手だからこそ、きっと色彩豊かな世界を生きていける。

        • 無意識に受け取ってしまったエネルギーを”お返しする”ということ。

        • 光になろうとしなくたって、光だった

          私が誰かの光になる。

          今の気持ちや感覚を残しておきたい。 私はこれまで、自分が生まれた家庭での色々なことに、たくさん悩んできた。 母と父がなかなか相容れず、喧嘩が多かったり、 母の父や祖母に対する悩みを聞くことが多かったり、 兄が精神的に不安定で、父と母に悩みが尽きなかったり… みんなが調和するようにって、小さい頃から調整役を担っていたけど… 思春期の頃からは、 「どうして私の親はこうなんだろう」 「どうして私がこんな思いをしないといけないんだろう」 「親がこうだから、お兄ちゃんが…」 って

          私が誰かの光になる。

          足していく必要はない、もう既にあるから

          YouTube用のリーディングをしていたら、 自分に対してメッセージを伝えているような気分になった。 いつかどこかで動画を見てくださる人に対してかけている言葉であっても、いま動画を撮っているこの世界は私の世界。 出てくる言葉は、鏡のように私の内面が映し出されていて、私に対する言葉にもなっている。 そんなことを感じながら話をし終わって、片付けをしていたら、急にストンと気づいたことがあった。 リーディングを重ねるごとに、私は自分のインスピレーションにブレーキをかけるのをや

          足していく必要はない、もう既にあるから

          「信じて頼る」世界…行き着いた先は

          周りの人を信じること、頼むこと、委ねること… 自分と全く違う存在にそんな風に心を開いてサポートしてもらうのは、 博打のようだし、不確定で、危ないことだ。 慎重に相手を見定めて、信用できるか判断しよう …ではなくて 私の世界に出現する人たちは、”私の”世界の中の人たちだ。 現実とは、私の内的世界が外的世界に映し出されているだけ。 私という小宇宙が、この世界という宇宙とリンクしている。 ならば、現実で私の前に現れた人たちを信じて頼ることは、 ”この世界を創り出している私自身

          「信じて頼る」世界…行き着いた先は

          喜び上手頼り上手

          日々受け取っている 嬉しいサイン ラッキー 良い感じの流れ 人からの優しさ・愛 プレゼント… 私ちゃんと気付けている。 ちゃんと見つけられている。 実際、運が良い方だと思う。 でも、なんかパッとしないなぁって思っちゃった。それは、神視点(自分を上から覗いてる感じ)で見た時、私自身もだし、私の生活も、全て。 日常が楽しくない。ときめいてない。飽きが来てる。 ねえでもさ、悪くないでしょう?今の生活。 自分にとって嬉しい(はずの)こともたくさんあるよね? うーんでもやっぱ

          喜び上手頼り上手

          メモ-私の中で行われた対話-

          「やったことがないから、きっとできない。」 やったことないからできない? そんなことはない。 この世にあなたとして生まれてきて、やったことのないこと、経験していないことは、たくさんあるでしょう。 でも、あなたには生まれながらに持ってきた能力がある。 この人生でやりたいことが全部できるように持ってきた能力だ。 それに、あなたとして生まれてから今までの間に経験がなくても、ずーっと昔、別の人間として生まれてきた時にやっていたことだって、あるんだ。 この何十年かでやったことがないか

          メモ-私の中で行われた対話-

          ゆるむこと。凹みを愛すこと。

          私個人としては引っ越しで頑張りすぎたこともあるけど、 最近のエネルギー的な潮流として、今までの疲労がどっと出たり、そもそも生きるだけで負荷がかかっている感じがしている。今までとは重力が違う感じ。 すごく苦しそうだな、しんどそうだな という状況をよく目にしたり、耳にするんだよね。 その中で、 ”ゆるむこと” ”凹みを愛すこと” というメッセージをよく受け取るから、このテーマで今日は書いてみようかな。 今年に入ってから仕事を辞めて、 一人暮らしの自宅から実家に戻りつつ、自宅

          ゆるむこと。凹みを愛すこと。

          私にとっての”お金と上手に付き合う”って?

          長らく「上手にお金を使える人になりたい」って思っていた。その表現には、倹約家・無駄遣いをしない・キチキチっとお金の管理をできているという意味が含まれていたように思う。 確かに、自分にとって適切なお金の使い方・使い道はあると思う。でもふと、”上手にお金を使えるようにならなきゃ”と自分を縛っている感じがした。 それは違うよね。私がしたいのは自分を縛ることじゃない。 そう思ったので、今回見直してみたい。 私の中での、無駄遣いをせず、キチキチっとお金の管理をできている人像に思い

          私にとっての”お金と上手に付き合う”って?

          ”行動できたこと”からの『私という名のゲームを楽しむ』について。

          前回、どんな現実よりも私の存在が先、って話をした。 私が生きて見ているこの世界は、私が創っている。 前回の記事を書いた後、どんどん三次元に意識が向かうようになってきて、お友達と話しながら『自分ごととして望みを叶えていくためには、現実で欲しいものを設定することが大事』と気づかせてもらった。 なので、こんなことをやってみている。 ・もっと物理的に欲しいものを具体的に認識して、手に入れていいよ!って自分に言ってあげる ・何ヶ月後に欲しいもの、なっていたい姿など、時期も含めて書き

          ”行動できたこと”からの『私という名のゲームを楽しむ』について。

          『地球と繋がる』は『私と繋がる』

          やってみたいことはずっとあって、その際のありたい自分の姿が見えてきても、具体的に行動することができない、ということが長らく…少なくとも1年くらいかな?続いていた。 正確には、その時その時に色んな行動はしていたけど、1番叶えたい自分になるあたって、どこか引っ掛かりがあって、何かに阻害されている感覚があった。 ・カードリーディングで動画を上げるんだ!って決めてても、実際に行動に移したいと思えない or のろのろ準備する ・経済的に苦しいわけじゃなくても、常に余りがない ・運動

          『地球と繋がる』は『私と繋がる』

          一番に認めてほしかった人は…

          常識よりも、社会よりも、私を大切にしてほしい。 私が羽ばたけるように、認めて、応援してほしい。 数年前、とっても仲良くしていた友人がいた。 しょっちゅうカフェでおしゃべりをして、お互いのやりたいことや、ありたい姿、叶えたいことについて語りあう仲だった。 その友人は、いつも私の本質を見てくれていた気がする。私を私以上に買ってくれて、応援してくれて、背中を押してくれた。 「hiromi.さんはあなたが思ってるよりずっとすごい人なんだよ!」 「あなたは”普通”なんかじゃない。

          一番に認めてほしかった人は…

          ぜんぶ吹き飛ばすくらい。ぜんぶ越えていくくらい。

          恥ずかしがらず綺麗に口角をあげて笑えるようになりたい。 巻き肩や反り腰を直して、姿勢よく美しい身体になりたい。 人の出方を気にして、相手が受け入れてくれると分かったら本心を伝えるのではなく、初めから自分に正直でいたい。 ひねくれず、拗ねたりせず、怖がらず… 無邪気に堂々と、自分を表現していたい。 ここ数日の間に、これからありたい自分像として出てきた言葉たち。 笑うのが恥ずかしくなってしまったのは、無邪気でいることで苛立たれるのが怖かったから。 肩や背を巻いてしまったのは

          ぜんぶ吹き飛ばすくらい。ぜんぶ越えていくくらい。

          色とりどりな夏が好き。

          今年の夏は、キラキラ感や鮮やかな色彩を楽しみたくて、Addictionの夏限定のアイシャドウパレットを購入した。夏の強い日差しに負けず煌めくラメがほんと〜〜〜にかわいくて、ときめきが止まらない……。 (オレンジブラウンの方。フレッシュでポップなオレンジは苦手だけど、このパレットは落ち着いたオシャレな色味。でも地味ではなく、十分華やかさがあって、私にはとても似合ってくれた。) 夏の好きなところは、 景色の色がより濃く鮮やかになるところ 木漏れ日がキラキラするところ 水面がキ

          色とりどりな夏が好き。