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何もしない。好きなことを好きなだけする。頑張らなくていい。それを自分にゆるす。

頑張れ頑張れの昭和平成を生きてきた私たち。


何もせず、ただぼーっと過ごす休日。自粛期間は特にそうかもしれません。

ものすごく虚しかったり、あ~何にもしなかった、何もできなかった、と物足りなさを感じたこともあった方もいらっしゃるかもしれません。


私も昔、日曜の夕方がとても苦手で、俗に言うサザエさん症候群という感じではなく、何もしなかった休日の1日に何となく虚しさというか切なさというか心細さというか‥何とも言えない気持ちを味わっていたことがあります。

※サザエさん症候群…月曜に仕事に行きたくなくて、日曜の夜サザエさんが始まると気が重くなってくること。

私は小さい頃、日曜の夕方『じゃりんこチエ』がテレビでやっていて、それを見ると何とも言えない気持ちになっていました。確か就学前だったので早くもその頃から虚しさを感じていたのですね。。(笑)

なので、自分の行動範囲が広がっていくティーンエイジャーになると、ばたばたと遊びに行ってました。あの何とも言えない気持ちを味わいたくなかったからだと思います。


何かすることがいい事。

きちんとすることがいい事。

充実していることがいい事。


それは確かに素晴らしい。


でもそれは『人から見て、どうなのか』になると、苦しくなってくると思うのです。

人から見て、何もしてなくても、きちんとしていなくても、充実していなくても、いい加減でもはちゃめちゃでも、自分が良ければいいのです。

いたって普通!の生活でいいと思うのです。もちろん『自分にとっての普通』です。


中身があるかどうかは自分が定義付けしていいと思います。誰かから見てリア充だとか素敵だとか、ちゃんとしてるとかどうでもいいものだと思います。

自分がそこに意味を持つなら、それは自分にとって意味のあるものになる。

自分にとって意味がないと思うならそれは、意味がない。だからしなくていい。真似する必要はないのですよね。


私は、何にもしない時間がどれほどリア充なのか…そうつくづく感じています。


人から見てのリア充は、ある種、心の穴埋めだったりするから。

自分がこれでいい、こうしていたい、と思うならそれは、真のリア充だと思うのです。


何もしない虚しさが押し寄せて来る休日や自粛期間。

何もできなかった。。と思わなくても、何もしないことで休息している、その時間を過ごした、と定義付けすれば、それは虚しい1日ではなく自分にとって有意義な1日に変わることを、私は自粛でつくづく学びました。


私たちは別に何もする必要はない。何かをしろと誰にも言われていない。何もしなくても誰も怒らないしとがめない。

心の摂理で言えば、何となく親の目を気にしているだけなのですよね。

でももう親は何も権限はない。あなたに影響を与えない。


何もしない。好きなことを好きなだけする。頑張らなくていい。

ただ自分がそれを許せるかどうかだけなのだと思います。

いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨