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追い詰められるくらいなら何でもやってみればいい。
心が追い詰められるくらいなら。
心や身体を蝕まれるくらいなら。
死ぬくらいなら。
見栄や評価や世間体や体裁なんか気にしないで、何でもやっちゃっていいと思います。私はそう思っています。
死んだらそれまで。
追い詰められたり心身を壊せばそれだけ自分が苦しいです。
なぜそんなことになるのか。
それは自分の想いよりも外の世界や人の目を優先してしまったから。
私も昔、こんな想いをするくらいなら死んだ方がましだ、と思ったことがあったのですが、それは自分の心よりも誰かの常識やルールを守り続けたからなのです。
その時に『なんで人のためにこんな想いしなあかんねん。死んだ方がましって思ったんやから、死ぬ前に好き勝手やってやる!』と思って一念発起した想い出?があります。
やりたいようにやって、今に至り、今は自由に好きに生きてます。
この世界で守らなければならないものは『心』
目に見えるもの、形、物質的なものには意味自体はないし、さして価値もないと思います。
そういうものは失ったってどうにでもなるのです。
目に見えないもの、精神的なもの、そして心。そして愛。命。
それは失ってしまっては、痛みが強すぎる。
自分にはそういうものはないと思っている人は、ただそう思い込んでいたり、見えないものが見えていないだけだったりします。
人間には必ず、あります。
死守するべきは、物でも形でも目に見えるものでもないのですよね。
見栄や評価や世間体や体裁、常識普通、一般論ばかりに重きが置かれると
健康、穏やかさ、平和、個性、愛、心。。が置いてけぼりになってしまいます。
だから生きていて辛くなったり、心や身体を病んでしまったり、命を終わらせたくなるのです。
本来守るべきルールは1人たりともそれに苦しむ人があってはならないのではないかと私は思っています。
ルールを守ることが目的で生きていてはただただ苦しいだけ。
本当のルールは『みんなが幸せになるためのもの』なのですから。
ルールって、みんなが同じことをする、同じような在り方でいること、秩序を守るために同じ方向を向いていくことだったりして、それはそれで素晴らしいのですが
そのルールに対して苦しくなってしまう人に強いるものではないのですよね。苦しくなる人がいればその人にも合うルールに書き換える必要があると思います。
そういう人を排除したり、社会不適合とするのではなく
むしろ苦しくなってしまう人の方に視点を置いていくような優しい世の中になればいいなと願うばかりです。
どんな価値観があってもOKなのがこの世界ですが、どうせなら優しくフラットな世界がいい。
このウイルス禍、最も人間に必要なのはそうした他者への理解と尊重なのではないかと思っています。どんな人がいても、どんな考えがあっても、どんな選択があってもいいではないかと思うのです。
だから、苦しい気持ちを抑えて守るべきものなんてこの世界にはないのでしょうから、苦しいなら自分を貫いていいと思います。
それにあれこれ言ってくる人がいるならそれは、その人自身が自由に生きられていないだけなので気にすることはありません。
自分の我慢の苦しみを人に強いてくる人の犠牲になることはないのですから。
あなたはあなたを貫いて、自分が生きる道を生きて下さい。
あなたが歩いた道。
それがあなたの正解、あなたの大切で尊い生きる道なのだと思うから。
いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨