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生きられるように生きていい。風の時代は心優しい天才がのびのび育つ。

社会にそつなく適応しながらも不真面目な人がいて
そういう人が「立派」に見えることもあります。

一方、なかなか社会に馴染めないけれど誠実な人がいて
そういう人は「社会人としてどうなの?」という目で見られてきた。

表面的なもの、数字などでしか評価されない側面があった。
それが地の時代。


風の時代。
逆転現象が起きます。

今まで社会の中で生きづらさを感じてきた人がいると思います。

とても根が真面目でひたむきに生きているのだけど
心根が優しすぎて情に脆く、人に合わせすぎてしまい
なかなか力が発揮できずに評価を得にくかった。

地の時代と言われるこれまでの時代は
何か一定のボーダーに合わせることを求められてきたので
合わせられない人は、どこかで厳しい視線を浴びてきているはずです。

「地の時代で生きづらかった軍」は社会不適合ではなく
風の時代では「感性才能豊かな人」です。

心優しい天才


努力や忍耐、我慢や規則やお上に従うことも別に悪くはないです。

でもそういうものが
「心優しい天才」をがんじがらめに苦しめる時代でもありました。

心優しい天才たちは
「人と同じことをするのが苦手」だったりするし
「人と長い時間一緒にいることが苦手」だったりする。
「つるむこと」が嫌いなのかもしれない。


ウイルス禍になり、多くの人が苦しんだことは事実です。
それは目を逸らせない事実。

でも、心がとても優しい天才たちを
ある側面では「救った」ということは否めません。

ソーシャルディスタンスや人の価値観に口を出さないこと。

誘いを断ることや体調が悪ければ仕事を休むこと。
心から会いたい人に会い、会いたくないなら会わなくていいということ。
時短で働くという選択があること。在宅でも仕事ができる。
無駄な行動を削ぐこと。

大切な人や物事にだけ向き合い
惰性で人と付き合わないということ。

ルールばかりではなく、自分の心地よさを大切にすること。
物質ではなく、精神・心を大切にすること。

人からどう見られるかではなく、自分がどうなのか。
人から見たリア充とかいらない、自分の心が満足することを。

ウイルスはそういうことを身をもって教えてくれましたが
本来それは「人間の機能として当たり前のこと」なのでしょう。

心優しい天才たちからしたらこんなの元々当たり前のことだよ。
そうじゃなかった社会がそもそもおかしかったんだよ、なのですよね。



今まで当たり前だったものが壊れて、新しい当たり前が出来てきた。

その社会的価値観の変化についていける人は風の時代は楽だし
受け入れられないと辛いのだろうと感じます。


風の時代。
過剰なこだわりはもう必要ないのでしょう。

生きたいように生きればいい。
生きられるように生きればいい。


ああせねば、こうせねば。
こうしなくちゃ将来困る。
こうしておかないと誰になんて言われるか。

そんなのはもういらない。
将来困らないし、誰に何を言われることもない。

生きられるように生きればいい。

未来のために、何かのために生きるのではなく
今、ここにいる自分がが満足出来るように生きればいいのです。

*****

清原さんが人命救助をされたニュースを見ました。
私は清原さんは「心優しい天才」だと思っていて
きっと今までご苦労があって、社会的にNGとされることもしてしまったのだと思うのです。それは許されることではないのだろうと思います。

でも、心優しい天才が再起をしようとすれば
神様はちゃんと見ててくれるんです。

人は皆、色んな過ちを持っていると思います。
過ち間違いは0ですという人はきっといないのだろうと思います。
誰でも触れたくない過去の1つや2つはきっとある。

でも、自分を責めずに大切にしていれば
どんでん返しが来るのです。

土の時代に社会的に不真面目で変わり者に見えてきた人は
風の時代、本質的な真面目さで生きる心優しい天才です。

もちろんそれをうまく使うために
コツコツ積み上げていくことは必要です。
でも、気楽にね。

そういう人が社会で重宝される時代がやってきましたよ。



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