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もう少し宿吉住時代の話をしてみよう(上)

前回書いた宿時代の話に興味を持ってくれる方がちらほらいらしたので、もう少し話をしてみようと思います。
実は宿の前は工務店をやっていました。祖父が始めた会社です。当時は高度経済成長期真っ只中。ダム作ったり、ゴルフ場作ったり、それなりに人を使って大きくやってたみたいです。しかしこの祖父である吉住武三郎、とても人が良すぎる人間だったようで、色んな人の保証人になった結果、億単位の負債を抱え、最終的には工務店を閉めることになりました。そしてこの借金を返済するために、祖母吉住靖子が宿を始めたと聞いています。

元々、工務店の従業員たちを下宿させていたので、宿を始めることはさほど難しいことではなかったようです。当時一番多かった時で、70名程のお客様を泊めていたとか。部屋はほとんど大部屋でしたが、人が多すぎて床に寝ることが出来ない人もいて、押入れで寝ていた人もいたらしい(ドラえもんみたいだね)。それでも吉住に泊まりたいというお客様が多かったのは、安くて飯がうまくて自由だったから。お風呂は好きな時間に入れて、洗濯機は使い放題。テレビも見放題。普通はある程度のルールがあるけど、かなり自由な宿でした。近隣のビジネス旅館から苦情が来たこともあったそう。まあそりゃ来るだろうなぁと思います。

私も幼い頃はよく遊びに行ってお泊まりしたこともありました。姉と二人でよく泊まった記憶があります。大きなお風呂に入れるし、犬たちと沢山遊べるし、美味しいご飯も食べれるし、楽しかった記憶しかない。色んなところにも連れていってもらいました。めちゃくちゃに忙しかったはずなのに、本当によく可愛がってもらいました。

祖母靖子。2018年撮影。黒い帽子がトレードマーク。

祖父も祖母も戦争体験者だったから、当時の話はよく聞かされました。そして二人とも、困っている人には本当に優しくて、細かいことは気にしない。そして決して見返りは求めない。命があるだけで十分。実際そう口にしたことはなかったと思うけど、いまこうして振り返ると、二人の生き方からはそう感じる場面がいくつもありました。

祖父は20年前に亡くなりました。祖母は老人ホームで元気にやってるみたい。なんと今年で90歳。「私たちには靖子のDNAが流れてるから大丈夫よ」と、挫けそうな時はいつも母から励まされます。祖母靖子には、ここでは書ききれない、いや書けないエピソードが沢山あります。かなり乱暴な人だったけど、本当に愛のある人でした。

次回は私が宿で働いていた頃の話をしようと思います。今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

見出しの猫は「靖子」です。宿に住み着いていた野良猫を実家へ飼い猫として迎えました。今も元気です。

季節の喫茶 吉住 
稲毛ひろ美

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