「君がしたいことを」の真意

私は趣味がわりと多い方だと思っている。しかも、一人で楽しめてしまう。コミュニケーション能力はそれなりにあると思うが、一人でやるほうが気が楽なのだ。
読書、ドライブ、陶芸、ドラマや映画鑑賞、アロマテラピー、ネットサーフィン、おひとりさま飲食、買い物、近場で観光…

連れは趣味が少ないと思う。パチンコ、麻雀、ゲーム、晩酌…一人はつまらない、と言う。

ゴールデンウィーク、盆休み、年末年始は連れが長期休暇になることが多いので必然的に共に過ごすことになり、別に嫌なわけではないけれど少々鬱陶しい。

一番モヤッとするのが「君がしたいことをしよう」と言われること。

ドライブ、観光、買い物、食事ならまだなんとかなる。気分転換になるし欲しい物買えたりするし何より外に出れば気持ちが良い。
しかし読書やドラマ鑑賞は趣味が合わないし何より連れが好かない。逆にパチンコ麻雀ゲームは私が好かない。

晩酌しててもテレビは連れの好きなバラエティで仕方なく見るけれど、私は、ニュースやドラマリアタイや録りためたドラマを観ながらお酒は飲みたい。スマホで情報を得ながらでもいいしSNSで友とやり取りしながらも楽しいのだが、連れは「誰と話してるの?」「スマホで何見てるの?」と聞いてきて、あまり気に入らないという態度を示してくる。

「私がしたいことを」と言うのなら、気にしないでもらえませんか?
と、いつも思ってしまう。
私がしたいことと言ってくれたのなら、あなたと一緒でなくてはならない理由は無い、のである。

我が子なのに会話もしないで、かと思えば子らの態度がちょっと気に入らないと食器を強く置いたり扉を乱暴に閉めたりしてすごい音を立てるし、深いため息を何度もついて『気に入らないアピール』してくるけれど。
何なら、私はこどもたちと楽しくでかけたいしショッピングも行きたい。
そこにアナタは要らない、だって子供に腹を立てて気分を悪くしてイライラな態度をとるんだもの。場の空気が澱んでこちらまで気分が悪くなるからともに行動するのが苦痛になってしまう。

結局、私のしたいことが達成できる確率は30%くらいとなっている。
今回のゴールデンウィークはそれなりにうまくいくかと思ったが、やはりいちいち監視されてるみたいだったし、
私がとても満足したことに対して、連れ自身が気に入らなかったからと相当ディスってくれちゃったので、楽しい美味しい記憶がかなり吹っ飛んでしまったのだ。
楽しく飲んでいた晩酌では私の飲み物をいつの間にか横取りされていた。

我慢していたら私自身が気分悪くなったので、後半の半日ほど自由なひとり時間をもらい、
図書館で本を借り、好きなお酒や食べ物を買うためにスーパーをハシゴし、録画したドラマを数話観たら、かなりスッキリした。

「君がしたいことを」は、連れの自己満足が満たされる内容でなくてはならない?
そんなバカな話があるもんか。
私の気持ちを尊重する気がないのなら、そんな言葉は使ってほしくない、と改めて思った。


そしてゴールデンウィークも終わる今夜、連れは勤務先の宿舎へ戻った。
残された大量のチューハイの空き缶と作ってくれたけどイマイチだった料理の残り物を、処分するのは私なんだなぁ…と、いつも日曜の夜と何ら変わらない思いを抱いて月曜を迎えることになるのだ。

嫌気などない。
ただ、処分する(ゴミ出す)のは私なので「『お願いします』の一言は欲しいな」と話してあるけれど、今夜もその一言は無さそうで、やはり私の気持ちは汲んでもらってないなぁと少し悲しい気持ちになるのである。


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