カエル(蛙、かえる)
「田んぼの持ち主様へ
カエルの鳴き声による
騒音に毎年悩まされてい
ます。
鳴き声が煩くて眠ること
ができず非常に苦痛です。
騒音対策のご対応お願い
します。
近隣住民より」
こんな文面の画像が載ったツイートがバズっていた。
さて、どの角度から見てもそれぞれが言いたいことは分かる。
『近隣住民』は毎晩煩くて眠れない、これは深刻だろう。気の毒だと感じる。
『田んぼの持ち主』、いきなりそれを対策しろと言われてもねぇ…農薬まけば、カエルを駆逐すればいいのか?しかしその農薬代は誰が出す?駆逐作業は誰がやる?
『カエル』にしてみたら、啓蟄に眠りを終えてまだ冷たい水が張られたならばそりゃあもう鳴くしかないわけで。
『傍から見ている私(ほか大勢)』にはどの立場にも共感や不満は湧いて出ることだろう。
田んぼのカエルの合唱は、それはもう美声なんてものではない。煩いというひと言でもすまないくらいすごい音だ。都会の騒音とは比較にならないし、何より時間が人の生活スタイルに全く合っていないものだから「騒音」となる。
だが、農家さんがお米を作るために水田は必要だし、水田を保つのにカエルの存在はなくてはならないんじゃないかと思う。私たち日本人は米文化の民族だから
水田あたりの食物連鎖でカエルは真ん中らへんに位置するのだろうが、食べて、食べられの絶妙な存在意義があるはずなのだ。
そして人間様はあとからノコノコやってきて「オマエラが煩い、眠れない、どうにかしろよ」なぁんて言ってる。
それと、もう一つ。
某うどんチェーンの商品にカエル、紛れ込んでいたそうで。
そりゃあ私もひょっこりカエルが出てきたらビビるかも、とは思う。
けど、うちら地球で生きてるんだぜ?
地に根を張った植物を食べては栄養を摂る日々だ。カエルに限らず昆虫や土なんかも紛れていることがあるかもしれない、とは思えないんだろうか。
植物(食用)を育て、収穫する中で
虫も寄ってこないような畑で作られた野菜類が、果たして美味いのか、安全なのか。
自然派のことを知れば知るほど、わたしたちは既にヤバいと気持ちばかりが焦るんだけれど…
違うよなぁ~
人間はなんで自己中で身勝手なんだ。
もっと、地球を愛し優しく。
そんな事を思った、梅雨の入り口の日である。