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キベリタテハ

キベリタテハというとても気品のある美しい蝶がいる。鼈甲色を中央に、そして月のような黄色の縁取り、よく目を凝らすとその一つ手前に複数の青い紋が一列に並んでいる。

僕がこの蝶を初めてみたのは、中学生の頃だった。理科室にあった先生の大量の標本箱の中にその蝶はあった。煌びやかな蝶たちの影にひっそりと姿を隠していた。最初は金属光沢を帯びたり熱帯の果物のような極彩色の蝶にばかり目が行き何百も何千もある標本を眺めて過ごすうちにだんだん目が慣れ、そうしてようやくこの蝶の美しさがわかるようになっていった。以来憧れの蝶となった。

このキベリタテハは森の奥深くの、やや開けたような場所にいるらしいことを図鑑で知った。自分の手でこの蝶を捕まえようと足を運んだが、場所の選定が悪かったのか、時期が悪かったのかその両方か、とにかく中学生の僕の気移りな性格のせいで、大抵はアゲハチョウやらトンボやらを構って1日が終わってしまい、憧れは憧れであり続けた。

時はたち、2022年、北アルプスの最奥地、雲ノ平山荘の滞在制作プログラムに選出頂く機会があった。そこでいくつかの作品を制作することになるが昆虫採集は出来ない区域にあったため、当然採集網は持っていかなかった。また、滞在する山小屋まで徒歩で一泊二日の道のりを行かねばならず、余分な荷物を持つ余裕も当然なかった。

滞在中のある日山道を歩いていると、深い褐色の蝶が目の前を素早く横切った。目で追うが捉えきれず、どこへ消えたのか何という蝶なのか判然としない。そしてまた別の日に目の前の岩でタテハチョウの仲間が羽を閉じているのが目に留まった。日光に照らされたその虫はゆったりと羽を開いたり閉じたりしながら、岩を濡らす湧き水を吸っているようだった。太陽の光をいっぱいに浴びたその蝶の、黄色い縁取りが光っているように見えた。キベリタテハだった。黄色い縁取りのすぐ隣にある青い紋が、光のキラキラした拡散光の粒子のように見え、深い鼈甲色の下地がさらに奥行きを増す。

この黄色と青い色の関係は、色彩学でいうところの補色の関係にある。上手く扱えば互いに引き立てあう色の組み合わせで、下手に扱うと下品で調和のとれない画面を作ることになる。予備校で油絵を描いていた僕は、どうにも色のセンスが悪くこの補色という関係に苦労させられた。
それはおそらく、補色という対等な関係を成す色同士のどちらかの色に、画面の基本的な色味を託す必要があることにまだ気づかなかったからだろうと、この時改めて思った。

このキベリタテハは、まず目につくハイトーンの黄色い縁取りと、大部分を占める艶やかな鼈甲色が同じ褐色系の色であり、全体の色味を形作っている。そこに鼈甲色と黄色の間のトーンの青い星々が、あくまで黄色の添え色として、しかし光沢という主張を持って鼈甲色の宇宙に配されている。黄色を引き立て、褐色系でまとめられた体色なかに、小気味良いリズムをもたらしている。

こんな調和を、全く自然に、作為とは無関係に成してしまう自然の造形が生きて動いている感動を当日目の当たりにしたら、僕は今頃筆を折っていたかもしれない。まあもう絵はあまり描いていないわけだから、絵を描かなくなることをさも重大な出来事のように書くのも、今更でしゃばりな話なのだが。



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