縁があったら、また会える~AHO RISM5 in NO WAY TICKET@ひ録:わらの手
平家物語を習ったのは、中学2年の時だったろうか?
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
平家物語巻第一「祇園精舎」より。
冒頭の格調高く、かつ哀惜と諦観を含んだ文章は、
永く心に残って今に至る。
さらに平家物語巻第十「維盛入水(これもり じゅすい)」には、
「生者必滅 会者定離(せいじゃひつめつ えしゃじょうり)」がある。
この八文字には、人の世のならいを、冷たさを感じるほど
淡々と言い切っている凄みがある。
最近は、この1年で出会った人も数えないし、
別れた人を数える事もない。
忘れる事もないかわりに、思い出す事もない。
三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決した時、
深沢七郎は「自然淘汰です」と言った。
「要するに自殺というのは自然淘汰だと思うのです。
昆虫とか動物には、自殺はないでしょう。
人間にあるというのは、人間だけにある自然淘汰ですよ。
自殺は誰でもそうです」
何で、こんな文章を書いているのかと訝った。
書いている今日は11月26日。53回目の憂国忌の翌日だ。
そして、深沢七郎は「三島由紀夫がもっとも恐れていた作家」だった。
「話の特集大集合」が池袋で開催された時、
新調のダブルの背広を着ている編集長の矢崎泰久に、
若い参加者が言った。
「良いですね!」
矢崎が応えた。
「良いだろう! やろうか」
やがて、会が終わろうとしていた時、
先程の若い参加者が言った。
「矢崎さん、それくれないんですか?」
あろう事か、矢崎は口ごもった。
出席者のひとり、深沢七郎は事もなげに言った。
「やりゃあ、いいんです」
会場は爆笑に包まれた。
三島由起夫は、とうにいない。
深沢七郎もいない。
気がつけば、矢崎泰久もいない。
思い出すのは、忘れていないから。
縁があったら、また会える。
縁がなかったら、もう会えない。
以上「縁があったら、また会える」
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