笹川諒・三田三郎『ぱんたれい』vol.1

硝子が森へ還れないことさびしくてあなたの敬語の語尾が揺らぐよ
でも日々は相場を知らない露天商みたいな横顔をふと見せる

笹川諒/ビードロ


右の靴が脱げて路上に立ち尽くす 履き直そうか 左も脱ごうか
汽笛にもうるせえと言う荒れ方でここ三年は乗り切ったけど

三田三郎/せめてあくびを



ネットプリント「MITASASA」のバックナンバー集も掲載されている。笹川さんと三田さんの、トーンの違う個性が交互に入ってくるページ構成など、とくにタイトルと作者名よりまず本文が入ってくる見せ方もあってすごくなにかヒリヒリする感じ。読んでいる自分の両脇を突っ走り加速していく、別々の二本の線。

笹川さんの言葉の組み立て方はなんなのだろう、言葉そのものをここに現そうとする作者がいるような、不思議な一行を眺めていると、言葉それぞれが空虚に存在しながら、それぞれの反射の仕方で色を返したりくゆらしたりしているような感覚が見えるように思う。視覚的で無臭の感じ。日常語、ふだん自分がいる新自由自我階級空気主義空間みたいな世界でめぐる(淀む)言葉と、歌の世界の言葉の、その出会いや関係、境界をとりだして見せているような気もする。連作「ビードロ」は、交換、輪廻、贈答…もっと大きなもの…編集後記に書かれていたこの同人誌の名の由来「パンタ・レイ(万物は流転する)」を読んだとき、流転か、と気付く。

三田さんの小説「空気になった同級生」も、濡れたシャツみたいに自分に貼り付いてくる泣きたさや情けなさの感覚がよくわかる気がして、とてもよかった。



せんねんになりますと言う店員のまえでしずかな千年は経つ

西村曜/ラ(イ)フ


朝焼けの空につやめく観覧車、回ってないの良くて見ている

法橋ひらく/生活


やわらかな羽をいちまいからっぽの庭に置いたらおわってしまう

大橋凛太郎/いっさいの虚構


感情の飛距離を思ふ 雪の上にあかき花びら交じりたる朝

上=へ

有村桔梗/花の名は


明け方のサーカス小屋の静けさがあるだろ俺の名刺の書体

大橋弘/ことばのざらつき、もしくはreminiscence


うつくしい汗があるならその汗をぼくにかかせてほしい土壇場

水沼朔太郎/10日と2時間


たぶん、やまからながれてきたあめが、ごがつのぼくに、さくらのはなを、

多賀盛剛/春


風立てばかぜのひだなすみづの面いつとしもなくゆふやみはきて

面=おも

金川宏/秋庭歌


詩は石松佳さん。自分が入っていたい檻、を思う。季節という檻、言葉という檻、抱きしめる、はらう、わたしの手という檻。


『ぱんたれい』vol.1





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