博物館の人魚

母はあるときから耳栓をして眠るようになった。わたしは、母はわたしを遠ざけようとして耳栓をするようになったのだと解釈した。母はそのうち白い襦袢を巻いて眠るようになった。母は死ぬことを考え出したのだと解釈した。わたしがそのことに気づいているのだということを知られてはいけない、と思った。母はいつ死ぬかわからない。わたしは母から離れた。わたしが離れることで、母は自分が死ぬ時期を遅らせると感じていた。母と目を合わさぬように、言葉を交わさぬように、同じものを食べず、同じものを見ないように。母から離れるようにしていたが、たまに甘えたくなり、そんなときはどうしても手が動かないから自分の歯を磨いてほしいとねだった。母がわたしの口のなかを覗き込んでいるのを感じることで満足していた。覗き込んでいる母を見てしまってはいけない。涎がこぼれてしまう。歯を磨いてほしいと言うと、母は一瞬嫌そうな、すまなそうな顔をする。歯を磨いてほしいとお願いすることも、だんだんよすようになった。わたしは母を忘れた。母は長く死ななかった。どこにいるのかわからないくらい母から離れてしまったので、わたしはもう母に会うことはないが、そう聞いた。あるいはわたしがうまく離れることができたから死ななかったのかもしれない。母がほんとうにわたしを嫌って耳栓をするようになったのかということもわからないままだ。わたしは解釈や対処の仕方を間違えたのかもしれない。そのやり方しかなかったのだとも思うけれど、長い時間を経て、結局自分の思いしかわからなかった。

博物館へモノレールに乗っていく。冬になると博物館は事実上閉まってしまう。博物館は森林を抱える大きな公園のなかにあって、冬は怪異たちに開放しているといわれる。つまり、博物館へ観に行く人間のほうが、観られる側になるということ。怪異たちの鑑賞の仕方にはそれぞれやり方があって、なかには食べられる人間もいる…という噂はあるけれど、実際のところはわからない。その年によって博物館にとっての〈冬〉がいつからかというのは違うため、行ってみたら冬で、観られる側だったということもある。わたしが行ったのは冬になる直前だった、と思う。冬になっても博物館はつねに開放されており、〈閉館中〉などと書かれてもいないため、もしかしたら観られる側だったのかもしれない。

博物館へは、人魚を観に行った。世界中さまざまなところでさまざまな人たちに発見された人魚を観た。博物館に実際の人魚はもちろんおらず、人魚の木乃伊、人魚の絵、解剖図、爪や髪、骨、録音した人魚の声などが展示されていた。人は昔からずっと、わかりたかったのだと思う。生きているとふとしたときにわからないものがある。人は本能的に、鱗でも爪でも角でも、かけらでいいから捕らえようとする。ああ、この人魚にわたしのわからない問題が外部化されている、と信じ、縋る。わからないことは共有され、想像され、誰かの手によってかけらが発見される。それは人々の熱狂のあまり無自覚に捏造されたかけらかもしれなかった。わからないものは大きな、多くの象徴を負うのだと思う。観る側それぞれが、それぞれの抱えるわからないこと、わからない病いに引きつけ、その象徴をお守りにし、忌み物にすることで自らのわからなさを乗り越えようとする、時を過ごすというのはそういうことだと信じて。わからないものをわかろうとするとき、ブリコラージュがなされてきた。目の前にあるものはすべてわたしの知っているものだった。角をもつ人魚、産毛を生やす人魚、鈴の音を響かせる人魚。展示されていた人魚はみなどこか胎児のような老人のような顔つきで、目蓋のない大きな目をこちらを虚ろに向けている。わたしはいつも展示をゆっくり見ることができない性質で、たくさん見落とすものがあると知っていながら早足になってしまう。ここを出ればもう夜になっているだろう。人魚はみな、ほんとうに美しくなかった。人の不安や欲望をあつめるとこういう顔になるんだと思った。早足でたくさんの人魚を見捨ててゆくわたしを、おののくように見据える、哀れな姿をした人魚たち。



国立民族学博物館 特別展「驚異と怪異――想像界の生きものたち」にて

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