かばん2017年6月号
「カネでしょ」って言われて結局はみだしたままぬらりひょん
山下一路
中国茶のひらききるまでを凝視する非常に静かな一分間
吉野リリカ
しらゆりの脱皮するまでみつめおりモノレールから海のふくらみ
足田久夢
深き夏深夏と呼ばれし君の名を祝福せしは故郷の山
(「深夏」=「みか」)
池田幸生
同じ街に住んだ若い男性が自ら穴に飛んだと聞いた
百々橘
またあした あたたかい水 またあした 小さな植木に飲ませたかった
土井礼一郎
羊雲をむしってすぎる青い風みんなに言い分はあるのだけれど
井辻朱美
我々がニューヨークの名を呟けばそれは畏敬か憧れなのか
鈴木智子
よこがおをねこにうずめておとうとのわたしとちがうみそじをあゆみ
できるだけかるくいおうとしてくれていることわれのさずかりなさを
おさやことり
ゆうまぐれいつのたれかもしらぬものやどりてまなこあつくうるます
コトハラアオイ
春のみにあらねど殊に春の手で髪にふれられると眠くなる
佐藤弓生
舟の着くけはいは満ちてさざなみが鬱をえがけり少女の湖に
飯島章友
百々橘さんの連作に、トーンや声が変わったような感触があって立ち止まる。散文性や、狭く薄い膜の感覚、すうっと引き寄せられる感覚。とんっと軽くおされ、外界のざわめきが引っ込んでいき、そこにある声に吸い込まれる。ずっとぶつぶつ、そんな感じの低さで、速さで呟いていたの。
韻文によってかんがえて、韻文によってこたえること、これはなんだろう。〈それ〉にあこがれ、それになったら消えてしまう、雪のようなもの。そう誰かや誰かがいつかかんがえながら押し出したような、呟いたような。なつかしく、ここにわずか流れる感覚、わずかここにあったと知った内部の血のぬくとさに触れてやっと動きだし、流れてゆくことにかえるような。
遠いあなたの、たとえば、「楽しくないからいきたくない」というひとこと。その価値観とまったく違うところを通ってきた、たまたまわたしであるわたしに、とても切実なことがあると知らせる。
河野さんがツイートでコンセプチュアルアートみたいなことをしている。
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