見出し画像

誰かのためではない、自分の人生を生きること

私は「自分のために」何をしてきただろうか
自分のしてきたことは確かに、自分が決めてやってきたこと
でも、今それに違和感を覚える

2024年の年明け、地震の被害ニュースを見ながら、頭によぎったことー

「仕事のため」だったり「家族のためだったり」、良かれとおもうことを
やってきて、それはそれで良かったのではないかとおもう
一方で、そこには「なければならない」精神があって
無事に過ごせて(終えて)良かったのだけど
その感想に賛同しきれていない違和感があった
グレーを白!(無事に終わって良かった!)と言ってしまうような


なんとか無事に、無難にではあったけれど
そこには「自分がしたい」よりも「自分がしなければ」や
役割にハマりすぎた自分がいて
あれ?「私は自分を優先していない」??と気づく

しかし、自由に生きることー
その自由とは、自立した生活の責任を放棄することではない

私の中にある「○○したい」という気持ちを
押さえ込んできたのだ
それも自分の素直な感情に蓋をし、自分以外を優先理由として
「〜だからやめておこう」「〜は今はまだできないだろうから」と

自分で、自分を縛っていたことに気がつく
(気づきが満載なのである!)

本当にやりたい、願えばできるーというのは
「やれる」と思って、行動するからで
「でも無理だろうし」では、状況は変わらない。

そして「やりたいことをやる」には
何よりも「はじめの一歩」の勇気がいる。

はじめの一歩の勇気は
転職するのであれば、サイトを検索するなどその程度のことで
多分おおごとではないはずなのに。

チャレンジしようという気持ちがなくなっていて
自分のことを棚上げして、無難さを良しとしていたのかな

でもやっぱりそういう生活は矛盾が出てくる
それは時にふとフラストレーションが溜まったり
無難にやってきたことに気持ちが乗らなかったり

だから、自分を最優先して、もう一度一歩踏み出してみよう
先のことはわからなくても
楽しみにしてみよう
その生き方が矛盾なければ、ただ道は自ずと開かれ、縁ができる

人生って、本当に1回きりだものね。

今までの自分にお疲れ様と
自分を主軸に据えて生きていく今後と
どうなるか、その未来を楽しみたいとおもう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?