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絶望の味がする水が流した涙のようで私は憤りよりも諦めに近い感情がぐるぐると頭を回っているだけだった。それは考えもなしにただ文字を紡ぐ今も同じ感覚で、きっと当事者の心はこんな感情では語り尽くせない。それだけは断言できる。こんな最低な世界のリアルをここまで赤裸々にありのまま映像に残せる技術の進歩を当たり前に思ってはいけない。世界中に公開できる大きなプラットホームとしてNetflixが確立していることも、きっと先人の被害者の痛みを弔いに貢献している。

すべてが当たり前じゃなかった。未成年の彼女たちが性的加害を受けること、SNSの中傷によって命を落としたり、人としての尊厳が奪われること、被害者や被害者家族ばかりが奪われ耐える生活を強いられること、それでも戦って生きていく活力を求められること、ぜんぶぜんぶ異常だった。

私が子供であるように彼女たちも子供であり、加害者も子供だった。オードリーはたしかに命を失い、デイジーは心を失っていた。そして冒頭の引用の通り、デイジーまでも命を落とした。彼女たちの自殺に加害男性の責任が及ばないというのならば、腐り果てた世界にこれ以上傷つく命を芽吹かせないでくれと願ってしまう。『命は大切なものだ』と簡単に人を殺せる言葉で説くならば、現実にある傷を直視するべきだ。どうして彼女たちは死を選ぶまで追い詰められたのか。私が権力者であれば道徳の授業で視聴させて、生徒に説いていただろう。

このドキュメンタリーの構造はとても端的であり、現実のグロテスクさをうまく表現しながら収録している。多くを語らないからこそ伝えられる腐った社会の一部をわかりやすく丁寧にまとめていると感じた。全体を通して印象に残っているのが警部のインタビューと加害者本人へのインタビューだ。デイジーの事件の取り調べを担当していた警部は終始加害男性に寄った考えをちらつかせていた。初めは魚の骨が喉につっかかったかな?程度の違和感だったが、それは確信に変わる。彼は最後に「男性が悪いとされることが多いが、女性にだって責任があるのだ」と話をまとめる。私は憤りを通り越して悲しみに近い感情に浸されていたが、インタビュアーが「これは少年による事件です」と付け加えた。彼は一瞬の沈黙ののち、「そうかな?」と言って笑っていた。何の含みもない笑顔だった。悪魔のようなあの笑顔は社会の残忍さを煮詰めて熟成させたみたいだった。憎たらしいと思った。

加害者本人のインタビューは彼らのためにアニメーション加工されていた。被害者の彼女たちは顔を晒しているのに。彼らはもごもごとした喋り方が特徴的で、英語の技術が未熟な私にとって非常に聞き取りにくかった。よく記憶をなくしていたり、思い出したりと忙しそうであった。彼らが悪意の塊として生きていないことはよくわかるインタビューだと思った。彼らは常に自分が悪く思われることを避けていて、怯えている。身体を揺らしたり手で顔を触ったりする。後ろめたく自分が悪いことをした自覚はあるが言葉にして認めたくない。そんな雰囲気を纏っていた。全体を通して不誠実かつ不愉快なインタビューだった。加害男性の1人は「こんな将来になるなんて思っていなかった」と言った。彼らはどこまでも少女のことを考えていない。そして最後に「女子は噂話が好きだよね。みんなで集まって噂話を広げている。男子はそんなものは気にしない。それがわかったことだ」と言っていた。このインタビューはこれを最後の言葉にして終わる。ナレーションや文字で疑問を呈することなく、彼の主張で終わるのだ。ドキュメンタリーとしての真髄と表さずにはいられない。

本当に噂話を繰り返していたのは女子だけだったのだろうか?彼女に与えた屈辱や貶めるような言葉を信じて疑わず彼女に投げつけていたのは女子だけだった?デイジーの兄は「自分のクラスメイトが妹に暴言を吐いているのをみた」と証言していた。加害男性が未熟なジェンダー規範を信じて疑わない姿勢から、悟ってしまう点は大きい。

けれども、警部や加害男性の態度や精神がマジョリティであることも私は知っている。私は幸運なことに彼女たちの痛みを味わうことなく今までの人生を過ごしてきた。ただ、女性であることがどれだけペナルティとされる世界であるか、男性には理解できない苦しみが存在することは十分理解しているつもりである。実体験がないからこそ、計り知れない彼女たちの痛みを考えて涙が止まらなかった。これが他人事の話でないことは女性にとっては理解できても男性にはきっと容易いものではない。よく男性に対する問いかけで「自分の娘だと思って」と聞くが自分の大切な人に置き換えないと痛みを考えようとしない薄情さを突きつけているように見えて、私は喧嘩を売っているのだろうか?と思ってしまう。どうも問われる側はそんな歪んだ受け取り方はしていないようなのだが、私はあまり好きな問い方ではない。血縁の有無とそこに存在するリアルな傷は一切の因果関係を持たないのだから。

このドキュメンタリーに出てくる被害女性だけでなく、部屋の隅で枕を濡らす全ての女性が平穏に過ごせる未来が訪れますように。私にできることは一体何なのか考えていきたい。これから生まれる全ての命が理不尽に痛めつけられない未来の実現に貢献するという覚悟をこの文章に込めて。

2020.08.06