【番外編 】ケアとは何か?
ミルトン・メイヤロフ 「ケアの本質」生きることの意味 より
メイヤロフは、親が子を、教師が学生を、精神療法家が患者を、芸術家が作品を、市民が共同社会を、夫と妻がお互いをそれぞれケアするとき、それらのケアすべてに共通する働きは、「他者が成長すること、自己実現するのを助けること」だと述べている
1.ケアするとは
最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけること
自己実現とは:人が自己の内に潜在している可能性を最大限に開発し実現して生きること
ある人が成長するのを援助するとは、少なくともその人が、彼以外の誰かをケアできるように援助すること
ケアするとは、新しい経験や考えを全人格的に受け止めてその人格が再創造されること
2.ケアすることで自分に何が生じるか
他の人々をケアすることをとおして、ケアする人は自身の生の意味を生きる
相手の成長を助けること、そのことによってこそ私は自分自身を実現する
支配でもなく説明や評価でもなくケアし、ケアされていることによる人は真の心の安寧を得る
例:親となることによる成長・発達
①柔軟性/②自己制御/③視野の拡がり/④運命と信仰の受容/⑤生きがい/⑥自己の強さ
(柏木恵子:父親になる、父親をする、岩波ブックレット、2011)
適応力、危機対処能力、ネガティブケイパビリティー(忍耐力)、社会性
もう一人の自分の発見
3.ケアの主要な要素
1)知識
誰かをケアするためには、多くのことを知る必要がある
その人がどんな人なのか
その人の力や限界はどのくらいあるのか
その人の求めていることは何か
その人の成長の助けになることは何なのか
どのように応えるのか
単にあたたかな関心を向けるだけではケアにならない
2)忍耐
花や子どもの成長を強制できないのと同じように、成長はこれを強制できない
相手に時間を与え、それにより彼らに好機を見つけさせることができる
忍耐ができないと時間を与えることができないばかりか相手からしばしば時間を奪い取ってしまう
3)正直
自分自身と向き合い心を開く
あるがままの相手をみつけると同時に自分のあるがままもみつめなければならない
正直であることがケアに全人格的な統一を与える
正直とは、感情のままに振舞うことではなく自分自身の弱さや好きになれないとことにも向き合うということ 強さも弱さも含めた自分自身を今の認めるということ
4)信頼
ケアする相手の存在の独立性、他者は他者なのであるととして尊重する
たとえその人が過ちを犯しても、そこから学ぶことができるという信頼
相手を信頼することはまかせること。
ある危険な要素をはらんでいるが、未知への飛躍であると信じる
子どもをケアし過ぎたり過保護にはしる親は、子どもを信頼していない。
子どもの成長よりも自分自身の欲求に強く呼応している。相手に自立のきざしが見えると、それを脅威として感じ取ってしまう
ケアする相手を信頼する一方で、ケアする自分自身をも信頼する
5)謙虚
教師は学生から学び、親は子から学ぶ
自分自身の誤りも含め、いかなる事柄からも学ぶ
「学ぶべきことがない」という態度は、ケアとは相いれない
ケアを通して、自分の能力のみならず自分の限界が本当に見えるようになる
6)希望
ケアを通して相手が成長していくという希望
さまざまな可能性に満ちている現在の表現としての希望、
これはエネルギーを発揮し、私たちの能力に活力を与えてくれる
他者に自分の希望を押し付けるのではなく、ケアを通して相手が自己実現していく希望
7)勇気
相手が成長していくこと、私のケアする能力 この二つを信頼することは未知の世界に分け入っていくに当たっての勇気を与えてくれる
逆に言えば、未知の世界に分け入っていくだけの勇気がなければこの信頼をおくことが不可能
★他者をケアするということ
自分以外の人格をケアするには、私はその人とその人の世界を、まるで自分がその人になったように理解できなければならない。
私はその人の世界がその人にとってどのようなものであるか、その人は自分自身に関してどのような見方をしているか、いわばその人の目でもって見てとることができなければならない。相手の世界で相手の気持ちになることができなければならない。
そして、他者のなかに私が理解できるものは、私が自分自身のなかで理解できるものだけである
参考文献
ミルトン・メイヤロフ 「ケアの本質」生きることの意味:ゆみる出版 1987
トロント,ジョアン・C.【著】/岡野 八代【訳・著】「ケアするのは誰か」白澤社 2020.10