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天下泰平 につなげるために、できること

Facebookのタイムライン。
複数の友人達が、ほとんど時差なく
「人が笑い合えることがなにより好き」
「人の幸せを願えることが幸せ」
的なことを呟いていた。

特に仲良しであるとか、一緒に何かしているとか、そんなこともない人同士。
接点がない人同士。

セカイ系ストーリーでもあるまいし。
こういうのを、ことさら大きく解釈して
「だからこれからの世界はどうこう...」
みたいな話につなげようとは思わないけど。

それでも、実際に感じるのは、

「自分のまわりの人達に関しては、競争原理からは離れて生きていこうとしている人が多くなった」

の、かな...
という、印象。

とても、いい感じ。


前の記事で、
「理」こそが、わたしの寄る辺
と、書いた。

情でも、利益でも、保身でもなく。
理 で、生きたい。



わたしは、今ひとつ、
「人の感情」
に共感できにくい人間だったりする。

「打算を維持できるほど頭がよくない」
という人間だったりもする。

「保身を徹底できるほどきちんと計算できない」
という人間だったりもする。


だったら。
「理」をわきまえ、沿いきれるだけの潔さがあるのか?
というと。

いやあ......たぶん、それも、ない。
そこまでじゃない。

ただ。
情、利益、保身と比べたら、
「理」というのは、

「これに沿いたい」と思える強度 が違う。

そういうのが、大事なんだ。


アラカンじゃん、というトシになって
まだ、こんなアホみたいなことばかりが
頭の中に詰まっている。

ほんと、アホみたい(笑)

こんな思考は、
あの山神様の坐す場所から見下ろしたら、
まこと、「塵」でしかない。


けれど。
塵だからこそ。
お互いがお互いを、でき得る限り損なうことなく
摩擦はあれど、削り合うことなく
その摩擦が、互いを磨き合う方へ作用して
最終的に、接する人同士は、笑い合って過ごせる。

そういう、理想的な世界に
少しでも近づけるように。

それが現実化して広がっていった先にあるのが
わたしの思う 天下泰平


わたしにできることは
この手を動かして
何かを創ること。

天下泰平

に向けて。




しょーもない独白が続きますが。
こういうのもまた、創作のためのベースとなっていくのです。

わりと、社会性が欠損しているタイプだと自覚しているので。
頭の中がセカイ系アニメみたい。

世の荒波から微妙に隔離されて箱入りになってる自覚もあります。
だから、前にやった展示会のタイトルも「龍の箱庭展」だったんだけど。

浮世離れした研究者に、象牙の塔の住人...という揶揄があったけれど。
わたしは、もうずっと長く、龍の箱庭で遊ばせてもらっていますね。


   

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