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「振り返り」という意識高い風な行為ではない、個人的過去回想にも一分の理はある(?)

過去を振り返ること
というのを。

気がつけば、しょっちゅう、やっている私。

かといって、きちんと反省してるか、って言うと、んなことは全然なくて…だ。

ただ、体験してきたことを、見聞きしてきたことを。
思い返しているだけだったりする。

今の自分で、通り過ぎてきたことを見てみると。
当時は気づかなかったことや、別の可能性があったことなどが、新しく見えたりする。

もちろん、嬉しいこと幸せなことばかりじゃないので、そういう行為は時々、いささか自傷的だな…と思わなくもない。

うん。
昔は、その傾向は高かったかも知れない。

今は、そんなことはないと断言できる。

今も突けば痛む過去というのは、もちろんあるし。
そういうコトほど、よく覚えていたりもするし。

けれども、それをやらないでは、なかなか、先へは行けないのですな。
やっかいな性格です(笑)

掘り返し尽くしてみて。
もう、新しい角度も視点も何も残ってない…というくらい掘り返してみて。
やっと、ファイル完了。

ま、付き合いの度合いによっては、そこまでいく前に飽きてしまうこともあるけれども。


ところで。
過去によく一緒にいた人とか、何かを共同でやっていたことがある人とか。
そんな相手との痛い過去の記憶というのは、時に、自己正当化に向かいがち。

自分は悪くなかった、ああするしかなかった、向こうだってあんなことこんなことやったし…云々。

しかし…だ。

「今」にいて、その頃を思い出している。

その「今」には、「今の自分」が存在するだけだ。

「今のその相手」も、世界のどこかには存在する(しない時もある)けれど、目の前にはいないし、今のその人を知ってるわけでもない。

記憶の中にいる「その人」は、自分が当時の体験を元に作り上げている、過去の残像…

まあ、ぶっちゃけ

妄想
空想
幻想

でしか、ない。

蜃気楼だ。

そんなもの相手に必死に言い訳したところで。
なんも、始まらない。

私の過去回想は一種の趣味みたいなものなので。
好きでやってるので、放置でOK

でも、もし、周りに、どうしてもどうしても、過去の失敗や過去の痛い記憶を掘り返さずにいられない…そして、それが今のその人を痛めつけている…。

そんな人が、周りにいたら。

それは残像で、蜃気楼でしかないんだよ…とは、言ってあげたい。

…かも。

えてして。
自ら傷口をえぐるタイプの人は…

相手の期待に応える

ということが、至上命題になってることがある。

そして、それそのものが、その人にしかない「すごい勘違い」だったり、する。


それが悪いなんて、言っていない。

ただ、あまりにもそこにエネルギーを注ぎすぎてしまう人は、自分と他人の境界線を、少しばかり強めに意識してもいいのかも知れない。


んー
回りくどい書き方だけど。

最近、あらゆる事象について、断言とか言い切りとか、できなくなってきてしまってます。

どんな事象にでも例外はあるし。
例外どころか、ほとんどのコトって…

「概ねそんな感じ」

に、過ぎない。

自分が物事をほとんど知らない…ということ以外。

厳然たる事実
なんかも、どこにもない。

ましてや。
過去には。

過去は、確定された一つの事象ではあるけれども。
現在からどう見てどう再構築するか、によって、いくらでも変化(へんげ)してしまうもの。

未来は。
何一つ、確定などされていなくて。
同時に、あらゆる事象が存在している、とも言える。


あらゆる事象はサンプルだ…という私の感覚を、ひどく嫌った人がいた。

その気持ちは、わかりはするけれども。
やはり、あらゆる事象は、サンプルなのではないだろうか。
もちろん、自分も含めて。

だから、過去回想は、面白いのだ。

アメブロ“手が知っている異界の彩”より
「過去を振り返ること」ほぼ全文
投稿日/2011-10-04 00:16:51
https://ameblo.jp/kawazo1151/entry-11037537664.html




周期的に、過去回想に入る期間がくる。
季節病みたいなものかもしれない。
わたしの場合、
「目下、深いところでなんらかの“概念的”なところに変化が進行している時」
に、そうなりがち。


最近はこのnote投稿に過去記事を引用して、現在思うことを追記するスタイルがいい感じに「考察が進む」と感じている。

螺旋階段みたいなもので、周期的に似たような思考が巡ってくるので。
昔書いた記事を踏まえて深める、っていうことが具合が良い。
今までも頻繁にやっていたパターンで、
「昔こういうことを書いたんだけど...」
って新しく思うこととか書いていた。
が、わりと、まだるっこしい。

引用したらええやん、と気付いたのが最近のことだ。
気付くの遅いって。


過去記事を振り返ると、自分の「思考力のピーク」がもうとうの昔に過ぎているなあ...と、痛感する。
そういう意味でも、引用+現状からの追記というカタチはよい気がする。

さらに数ヶ月か、数年か...もっと先かわからない未来に、またまた回想ベースで考えるフェーズが回ってきた時。
こうして、「現状から追記」したテキストが役に立つのではないかな。


こんな駄文、自分に役立つ以外に何にもならない気はするけど。
むしろ、可処分時間をとってしまうことになってるだけかも...って気はするけれど。
それでも、書き残すという行為にはすべからく一分の理はあると思うので。
万人の役には立たずとも、ほんのわずかな範囲であっても、届くことに意味があるって思っておこう。


だから。
あなたに、幸アレ!


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