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吾が手の使命 わたしの役目

それは、今からほぼ10年の昔。
とある一人の女性が、肉体の命を終えて現世を去った。

20と数年の、現世の時間だった。
とても可愛らしい人だった。

伴侶となってからそれほど経過していないご主人と、ご両親にも、お会いしている。

ご一家とは、特殊な状況下でお会いした。
その経緯をここに書く権利はわたしにはないので、詳細は、伏せる。

そのご一家から、わたしは、計り知れない大きな大きなものを、いただいた。

 

その出会いから、さらに3年ほど遡った昔。
とある一組の母娘と、出会った。
娘さんはまだ幼くして、大きな病と生きる身で。
彼女に天使の絵をお送りして、お返事をいただいた。
とても喜んでくれて、眺めたり触ったりしている...と、お母様からもお知らせをいただいた。

 

この2家族との出会いは、わたしの…というか
「我が手の」役割
を、わたしの中に強力に根付かせる大きな要素となった。

それでも。
そうした経験を、忘れてしまう。
忘れて、しまっていた。

願いの、切実さを。
質量を。

過去のいろんな経緯を掘り起こす中で、再発見に至った。

 

何のために描くのか。
何のために創るのか。

誰のためなのか。

ずっと、その問いを問い続けてきた。

願いの質量

わたしは、それを、受け止め得るものを
描き
創り
送り出す
そうすべき者。

可視化役を引き受けた、というのは
それを受け入れた
という意味なのだ。


どういうカタチをつくるか
どんな技術でつくるか

問題はそこじゃない。


願いを
祈りを

発するのは
わたしではない。

わたしは、それを受け取る側。

受け取って、しかるべき存在へと委ねる。
橋渡し役で、仲介役。

わたしに何かの能力があるわけではない。

願う、祈る、その力は、
もともと、人が皆持っているもの。


あなたの願いは
あなたの祈りは
この手が受け取り
姿(カタチ)と成す。

だから、安心して。



もう、やめなくてはならない。

弱い自分を
その姿勢が作り出す安住を。


誰かを応援するあなたを、応援する。

そのために。

 

 

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