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神護寺という題字から思ったことあれこれ

高校の修学旅行は、古美術見学旅行だった。
愛知県名古屋市にある県立高校で、各学年に1クラスだけある美術科の生徒だったわたし。
まあ、その高校生活がいかに劣等生だったかって話は以前にも書いてきてるし、今回それは主題じゃないので割愛。

ともかく、普通科の修学旅行は確か広島だったように記憶しているが。
わたしらのクラスは、行き先も時期も普通科とは違っていた。

そうなのだ。
行き先はともかく、時期も違っていた。
普通科の生徒が修学旅行に行ってる間、わたしたちは普通に授業だった。

わたしたちの修学旅行は、古美術見学旅行という名の通り、京都・奈良での二泊三日を主に仏教芸術漬けになりにいくもの。

今だったら嬉しい楽しいしかない旅行だが、当時はさほど仏像に興味はなく
(いや、ないわけではないが、煩悩にまみれていた)
一気にたくさんと対面しすぎて、記憶がいろいろ定かでない。

とにかく。
普通科の修学旅行は秋頃だったように思うのだが。
わたしたちは、東大寺二月堂でのお水取りにあわせて行ったので、2月の終盤だか3月のはじめだかだった。

すごく寒くて、法隆寺では雪がふりはじめ、たいへん美しい光景を見ることができた。
少し積もったので、郊外の寺院などでは積雪の中の見学となった場所もあった。


なんで急にそんな昔話を書いてるか、というと。
これのせいだ。


残念ながら観覧には行けないのだが。
っていうか、やっていること自体、今日バイト先においてあったチラシを見て知ったのだが。

その修学旅行で、まさにこの展覧会の目玉になっているらしき曼荼羅を、見せてもらったからだ。

学術旅行なので、一般には非公開のものを見せていただける機会だった。
神護寺の曼荼羅もそのひとつ。

これはさすがに、記憶に残っている。


いや、本気で、あの旅行中の自分に憑依して一緒に見学しなおしたいくらいだ。



ただ、この3日間の、特に中日から後。
どうやら、わたしの言動は、なんかおかしかったらしい。

本人には自覚はなかったのだが。

仲のよかったクラスメイトに、後々までずっとネタにされ続けた程度には、おかしな言動をしていたようだ。


遠くの寺院から貸し出されて公開されている文化財クラスの仏像の数々を前にして、自分の寺から長期にわたって離されるというのはいい気持ちではないのでは・・・といった珍妙な共感に浸っていたなど。
いくつかの「あの時は変だった」エピソード。

誓っていうが、当時のわたしは「小説のネタ」としてホラーやスーパーナチュラルを愛好していて。
今でいうスピリチュアル的な話には、とんと興味はなかった。

あー、タロットは別か。
あれは好きだった。
占いが好きっていうのではなくて、タロットカードが好きだった。
絵が。


ともかく。
職場で、たくさんならんでいる各地の美術館博物館のチラシの中でひときわ目立っていたのが、この神護寺の特別展だった。

あの時、行ったなあ。
すごい石段上がったよなあ。
あの曼荼羅すごかったなあ。
たぶん、本物の曼荼羅をあんな間近で見たのは、あれが初めてのことだったはず。


そんな懐かしさで、いろいろ思い出したのだった。


空海という日本のスーパースターは、ことにスピ業界に足突っ込んでからは、本当に「おなじみ」なお方だ。

梵字の筆運びがまるでわからなくて四苦八苦したこともあったし。
今も、ほとんど記憶はできていないのだが。梵字を書く、ということは、好きなことのひとつになった。

当初はすごい違和感があって、なかなか筆も乗らなかったのだが。
何事も慣れるもので。
今では、書く気になれば、ほんのいくつかの種字ならば、それほど苦労はしない。
(決して「達者に書ける」とか「上手い」とは思わないが…)


この古い記事に載せた画像は「龍王」の梵字。



こういう書き方がいいかどうかは、さておいて(笑)


梵字としての「字形」が好きなのは、これ。


不動明王


わたしの夫は梵字が上手い。
素人だし書道などの心得も全くない。
職業はこの道50年の庭師。
しかし、初めて筆をとった時から、すごく上手く梵字を書いた。

そちら方面の友人から、
「ご主人は実は僧侶?」
と本気の質問をいただいたくらい。

彼が初めて筆をとったのは、わたしがやむを得ず買った書籍を見てだった。
筆運びがしっかり説明されている本で。
ちょっと書いてみようかなーというお気楽さでわたしの筆ペンを持ち、見よう見まねで書いた。
それが、最初の一枚目から、上手かったのだ。

なので、
「なるほど、この本が本屋で全く違うコーナーに一冊だけ不自然に押し込まれてて嫌でも目について買ってきた、それはダンナ用だったのか」
と思った。
これでわたしが梵字を書くという苦行からは解放される!
と思って喜んだのだが。

まあ、そうはいかなかった...と。


おかげで、今では梵字を書くことも好きになった。

人間、なんでも慣れるものだ。


梵字=空海
というわけでは、ないけれど。

密接なつながりがあるのは間違いなくて。

京都に行ったら東寺に行き、3時間座ってたこともあるっていうくらい好きだったりもするし。


そんなことも重なって、神護寺という明朝体の題字に目を引かれた...と。


特に落ちはない話だが。
なんだかんだ、身近なところに空海さんと縁の強い方が現れるのも、いつものこと。


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