見出し画像

どれほど、自分の軌跡を埋め立ててきたのか...という

10年前からの贈り物
の記事を書いた時、当時の、いろんな人とやりとりしたメールを見直した。
残っている分だけではあったけれど。

その記事を書くに至るまでの前段階で
わたしが、14年以上もやめていた絵の道に戻ることになった当時の出来事を、反芻するきっかけとなった出来事があった。

どうも、この三ヶ月ほどは、過去を振り返る機会が、多く巡ってくる。

 

螺旋の一巡を、果たしたのか。
だから、もう一巡を…さらに一階上へと昇る前に
土台になった時代のことを、あらためて見直そう
そういう、機運なのだろうか。

 

2009年の誕生日を11日過ぎた、某日。
手術台の上で、意味深なる夢を見た。

それ以降の自分のゆく道を見事に暗示する夢。

その年の年末頃から、天使が近くにやってくるようになり。
年が明けたら、絵の中に出てくるようになった。
その頃わたしは、自分の絵にはカケラの価値もない、と考えていた。

 

そこから、もうすぐ、14年になろうとしている。

絵をやめていた時間と、ほぼ、同等。

 

かつて、ある人が言った。

「間違った道を正すには、間違っていた時間と同じだけの時間が必要になる。だから、人は、カンタンには間違いを認められない」

わたしが絵をやめたと思っていた14年は、間違っていたとは思っていない。

それでも、もう戻らないだろうと疑いもせず思っていた。
その期間と、だいたい同じだけの時間が、経ったのだ。

正すために必要になる、間違っていた期間と同じ長さの時間。
それが、過ぎようとしている。

 

絵の道に戻って、天使たちにスパルタ教育を受けていた当時のことを振り返ってみると。
当時のブログや、メール、紙のメモなどの随所から、

山ほど学び
全て疑い
疑いを埋めるために次の学びを探し
それを、繰り返してきた

そんな様子が、如実に、見える。

通り過ぎた今だから、なおさら。

 

当時の記録を見るまで、そんなことまでやったっけ...と、
自分自身ですら忘れていたことが、たくさん、出てくる。

そこまで考えたのか。
そこまで実験したのか。
そして、尚、信じずにいたのか。
同じくらいの強さで、強固に確信もしていたのに。

確信していたからこそ、その裏書きとなるものを探していた...のだったが。

 

当時のメールなどを見ると、
これが自分が書いたもの?
と、本人ですら疑いたくなるような、
「別人」
が、そこにいる。

 

そこまで考えて
探して
喰ってみた

消化できたことも、できなかったことも

血肉になったことも、吐き出すしかなかったことも

 

未だに
自分には、大したことはできない。
という感覚が、強く、ある。

単純な話。

経験を、自分の中にだけ留めて、アウトプットをしていないからだ。

何の役に立つのか?
自分がやることに、意義などないのでは?
誰が喜ぶのか?
誰も、求めないものを。

そんな風に。
今も
感じるところが、大きい。

 

しかし
学びはじめた当時と、そこからの軌跡を見てみると。

これを全て出し切ったら
相当なボリュームになり
相当な深度に及び
相当な濃度のものになる


さすがに、わたし自身にも、
感じられる。

 

さて問題。
これらを、どうやったら
人に伝わる
人に役立つ
人に有益な
人の喜ぶ
ものとして、作り直すことができるのだろう。

 

素材は、いい。
さすがに、自分でも、そう感じられた。

この疑い深いわたしでも。


この素材を、おいしく調理する手段を。

見つけなくては。

それが、これまでの時間

自分の軌跡を自ら埋め立ててきた、愚かしい理屈人間がやるべきこと。

 

 


10月前半の神龍みくじ
更新しました。


サポート熱烈歓迎!活動費用にあてさせていただきます。