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ピアノを習いたかったのは、信頼できる大人に会いたかったから

私は3歳から中学校卒業まで、ピアノを習っていた。

今振り返ると、私はピアノをそんなに好きじゃなかったなと思う。指を動かすのが楽しかったけれど、練習はサボりがちだった。
母に見つかり「練習しないならピアノはやめなさい」と言うと、私は「練習するからピアノを続けたい」と泣きながら訴えた。

どうして私は、ピアノを好きじゃないのに、ピアノを習いたかったんだろう?

たぶん私は、ピアノを習いたいんじゃなくて、ピアノの先生に会いに行きたかったんだと思う。

ピアノの先生は、私を対等に扱ってくれた。
例えば、私が爪を切らずに先生のグランドピアノを触ろうとすると、先生は言った。「そんな長い爪でピアノを触ったら、私は嫌だよ。爪を切ってきて」と言って、爪切りを渡してくれた。

もしこれが家だったら「なんでそんなに爪が長いの!切ってきなさい」と怒られるだけだ。

どうして爪が長いと良くないのか、それがどういう影響を与えるのか、そんな説明はなく、「爪を短く切っているのが正しいことだから、やりなさい」という高圧的で一方的な態度だった。
ピアノの先生の場合は、「それは私にとって嫌なことだからやめて」と、私がすることが人にどういう影響を与えるのかを説明してくれた。
私は、そんな彼女のあり方がとても嬉しかったんだと思う。だからピアノに通っていた。だから、ピアノではなく他のものでも良かったと思う。

何にせよ、信頼できる大人がいてくれたことが、3-15歳の私を助けてくれた。