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「ちゃんとできたら人を愛していい」と思っていた

私は、私がちゃんとできないことがずっと許せなかった。どうしてか。私は「ちゃんとできたら、人を愛していい」と思っていたからだ。

私は、母を満足させられるようにがんばった。
勉強ができる、人に挨拶ができる、学級委員としてクラスメイトが正しいことをできるように指導する、見た目がかわいい、目がよくて虫歯はない、夜は早く寝て朝は早く起きる、自分で身支度をして出かける。

こういうことができて、母に気に入られたら、私は母を愛してもいいと思っていた。それができなければ、私は母を愛してはいけないと思っていた。

私は、ちゃんとできたら、人から信頼されてもいいと思っていた。
時間を守る、言われた事ができる、人の気持ちがわかる、人が喜ばせられる。

全部できたら、人から信頼されていいと思っていた。

でも、できない。

できないから、母から愛されることも、人から信頼されることも、私が私を大事にすることも、してはいけないと思っていた。ちゃんとできていないのに、人を喜ばせたり自分を大事にするなんて、そんなのおこがましいと思っていた。


絵が描けるようになるためには絵の練習をしつつする必要がある絵が下手なときから絵を描くのだ俺と同じで

私は、人を愛することも、人から信頼されることも、自分を大事にすることも、下手だ。

私には、そのことが悲しい。悲しくてつらい。だから、悲しみを感じなくてもいいように、がんばる。がんばっていれば、きっといつかできるようになる。人を愛し、人から信頼され、私が私を大事にすることができるようになる。そう思っていた。

でも、できなかった。

諦めよう。
できないの悲しみを抱えたまま、人を愛し、人から信頼され、私を大事にしてみよう。