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わらってもいい

ある人が言っていた、「もし○○という病気にかかってたら、どうしよう」彼の頬はゆるみ、笑いながら話していた。の頬はゆるみ、笑いながら話していた。
私は答えた、「笑いながら言うようなことじゃないよ」

でも、本当は、私も彼の気持ちがわかる。

私は、ひどい経験をした後に、笑っていたことがある。私の理解の範疇を超えていて、何が何だかわからなかったのだ。そんな私を見て、直接的や間接的に私を批判する人もいた。でも、私には、悲壮な顔をしてその事実を話す余裕がなかった。

笑うのは、緊張の緩和のためだと思う。

極度の緊張にある時、脳は、体を普段と違う状況に置く事で、脳は私を守ろうとするんだと思う。笑って緊張を緩めたり、パニックになって考えるのを止めたり、いろいろな方法を使って脳は私を助けようとする。それが定常状態になるのを避ければ、それで大丈夫だと思っている。

またある時、本当に驚いた際に、私は驚いた顔をしなかった。驚いてはいるけれど、それを体で表現する事ができなかった。むしろ、実際は知ってるけど初めて聞いたというふりをした時に、驚いた表情をつくる事ができる。
(ちなみに、この時の相手は夫。あとで「ごめん、実は知ってた」と伝えた。)
役者の感情表現って「きっとこういう顔をするはず」と想像しているもので、そうではない場合も多々あるんだと気がついた。

自分の感覚をどう表すか、顔の表情の次は、言葉の方も考えてみる。
「だるい」と言うのは、(主に思春期に自分の体が成長して感覚が変わってきて)今までみたいに動かせない、その重い感じをまとめて表している、と聞いたことがある。「だるい」と言えば終わるので便利だけど、自分の状態を言葉で丁寧に表現する事をさぼっているとも言える。

でも、それでもいいんじゃないかな。笑ってしまっても、驚いた顔ができなくても、「だるい」って言っても。
それを経験している事が豊かなのであって、人にどう伝えるかはその後で考えたらいい。経験ができたことが、ありがたいのだと、今はちょっと思う。