SNSで交流しなくても作品を見てくれる人達はいるという話
若い頃の私は交流好きな同人女で、毎日ネット上でお仲間と妄想を語り合ったり、作品の感想を送り合ったりして楽しんでいました。
なので旧ツイッターが登場した時も、周囲の人達と一緒にアカウントを作ったのですが、旧ツイッターの民度の低さ(無断転載、災害時などにおけるデマ情報の拡散、仲良くしていた人達も毒されて変になった)にガチギレしてアカウントを消し、個人サイトに戻りました。
同人界隈には、交流が好きな人と苦手な人がいますが、私は両方の立場を経験しています。本来は交流好きだったはずの私は、旧ツイッターに闇堕ちさせられたせいで、交流嫌いの気持ちも分かるようになってしまいました。
ただ、私が交流を拒絶して個人サイトに戻って、もう自分から誰かに話しかけることは無くなっても、それでも私に話しかけてくれる人達がいたことには驚きました。私のほうはお返しができない精神状態だったのに、メールで感想をくれたり、イベントで差し入れをくれたりと有難かったです。
下手&無交流の私に構っても見返りなんて無いのに、それでも作品を出し続けていれば、構ってくれる人は現れるものだと理解しました。
この驚きは、同人活動を引退した今も続いています。
私は下手なのでSNS交流をやめたら感想は来なくなるだろう→来た
同人をやめて雑記ブログを始めてもコメントは来ないだろう→来た
一次創作絵は二次創作じゃないから感想は来ないだろう→来た
私にとっては、すべて予想外のことでした。引退後もしつこくネットに居座り続けていたら、同人をしていた頃とはまた違った出会いがありました。
普段はあまり大っぴらには言わないけど、本当は感謝しています…と、ブログよりも見ている人が少ないnoteにこっそり書いておきます(・∀・)
旧ツイッターが登場して以降、ネットで活動している人達の中には、SNSをやらないと見てもらえないと思い込む人も出てきました。
同人界隈でも、SNSの空気が合わなくて疲れているのに、やめたら作品を見てもらえないと思い込んで無理をしている人がいました。
私はそんな状況を心からクソだと思っていて「SNSなんかやらなくても見てもらえます!」と訴えたいけど、言葉だけでは説得力がイマイチです。
でも今の「絵も文章も下手だけど(ていうか同人やめてるけど)SNS無しでも見てもらえている私」は、その証明にならないかと考えています。
そういった「SNSに縛られるな」という主張が一割くらいで、引退者の与太話が九割くらいの私のブログはこちらです。
今は、旧ツイッターはXという別物になって、もう私が批判する必要も無くなった気がするので、最近はブログに旧ツイッターのことを書く機会が減りました。それでも、今も苦しんでいる人はいるかもしれないので、旧ツイッター関係の記事はまだ残しておくつもりです。
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