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ひとりあそび ~本の森でひなたぼっこ~

 子供の頃から本屋さんが大好きで、父が本屋さんに行くと言うと必ず私もついていった。
 父はいつも同じ本屋さんに通っていた。父が子供の頃から行っていた本屋さんらしく、商店街の中の小さな本屋さんだ。
 常連というほどではなかったのだろうが、その本屋さんのご主人に父は顔も名前も憶えられていて、欲しい本がない時にはよく注文していたのを憶えている。
 そんな父についていっていたから、私も同じように憶えてもらったし、私も欲しい本を注文したことが何度もあった。
 残念ながらその本屋さんは今はもうない。後継者がいなかったのかもしれないし、その小さな商店街には本屋さんが3軒もあったから、立ちいかなくなったのかもしれない。
 結局私はその後、行きつけと言えるような本屋さんには出会えずにいる。

 だが、行きつけの本屋さんがなくてもやっぱり本屋さんは大好きで、今でもたいてい週末ごとに本屋さんに足を運ぶ。
 数年前までは通勤で使っていた駅のすぐ近くの商業施設や、駅ビルの本屋さんにほぼ毎日通っていた。
 とはいえ、毎日行っても欲しい本が毎日発売されているわけではない。それでも、本ばかりの空間が好きで好きで、私は今も時間があれば本屋さんに通ってしまう、

 学生の頃はもっとひどかった。フルタイムで仕事をしている今よりも学生の頃はもっとたくさん時間があって、だから毎日のように通う本屋も一軒ではなく三軒か四軒あったのだ。
 それだけ通うと、本屋さんの特色というのも見えて来る。
 雑誌が多い本屋さん。漫画が多い本屋さん。専門書が多い本屋さん。得意分野はいろいろだ。
 他にも、一般的なベストセラーが幅を利かせているが、新刊コーナーの本の並べ方が独特で、普段はあまり手に取らない分野の本が気になってしまうところや、地元に関する本が充実している本屋さんもある。専門書にしても割と有名どころの本が多いところもあれば、かなりマニアックなラインナップのところもあったりする。幻想文学が強いところ、ミステリが強いところ、アンソロジーが強いところ、民俗学や歴史書が強いところ、本当にいろいろだ。
 たとえば旅行先で本屋さんに行くと、これまたいつもとは違うラインナップに見入ってしまうことも少なくない。

 それでも、毎日本屋さんに行くと新しい何かを見つけられなくてだんだんと退屈になってくることがある。
 私は貧乏学生だったから、食費を削って本を買うにもさすがに限度があって、買いたくても買えない本もたくさんあった。気にはなるけれど手に取ってぱらぱらとめくってみても、ピンとこなかった本もたくさんある。
 そんなふうにいろいろと見ていくうちに、ひとりあそびをするようになった。

 ルールは簡単。
 本の棚一段ごとに見ていって、読んだことのある本が一冊でもあれば私の勝ち。一冊もなければ私の負けだ。
 一冊でもあれば、というのはずいぶんと甘いルールかも知れないが、たかだか私ひとりがこれまで読んできた本と、本屋さんにずらりと立ち並ぶ本の数とを較べるとそれくらい大甘でもしかたがないと思う。
 そうして私は棚の端から端へ、ひとつの段が終わると次の段へ、ひとつの棚が終わると次の棚へ、読んだことのある本を探して隅から隅まで本を見る。

 私がよく読むのはミステリだ。それも本格ではなくコージーミステリ。なのでたとえば東京創元社やコージーブックスなどの棚では、結構な割合で勝つことが多い。
 クリスティは99%読んでいるから楽勝だ。けれどここでは別の勝負が現れる。99%読んでいるということは、1%は読んでいない本があるということだ。
 クリスティの棚では、その1%が現れないことを祈っている。それさえなければ完勝だからだ。
 その読んでない1%とは、クリスティのミステリではないお話だ。『春にして君を離れ』という文字が目に入った途端、もともとのルールでは勝っているはずなのに、私はしょぼんとしてしまう。
 ミステリの次の読んでいるのはファンタジーだろうか。これもまた東京創元社の棚では私に分があると言っていい。早川書房では微妙なところ。早川のファンタジーは『ゲーム・オブ・スローンズ』のようにハードなものが比較的多く、私はなかなか手を出しかねている。
 私には東京創元社のファンタジーの方が読みやすいお話が多くて、東京創元社の棚では割と勝つことが多い。
 これはSFにも当てはまる。早川の方は私には少し分が悪く、東京創元社の方が比較的読んでいる本が多い。
 岩波文庫の棚では、どの分野の本が並ぶ段かで勝率が大きく変わって来る。シェイクスピアは読んだから、シェイクスピアの並ぶ棚では勝つことが多いが、思想の分野はあまり読んでいないので分が悪い。

 そんなふうにいろんな分野の、いろんな出版社の棚を見ていくと、これまでまったく気にも留めなかったような本が突然とても面白いものに見えて来る。
 たとえば『世界一美しい元素図鑑』『翻訳できない世界のことば』『世界の美しい図書館』『円周率 1,000,000桁表』『古代マヤの暦』『FACTFULNESS』『召使心得』『フォルモサ』『鼻行類』『クラウド・コレクター 雲をつかむような話』。ほかにもたくさん。

 歴史書や思想の棚では分が悪いが、一時期東洋文庫に嵌っていたこともあってそこだけ何故か勝率が良い。
 学生時代に読んだ専門書がときおり混じっているから、理工書は少し勝つことがある。
 医学系はまったくだめ。PC関連は少しだけ知ってる。美術の本は少しだけ知ってるけど書道はまったくわからない。

 そうしていつしか本ばかりではなく、出版社を把握するようになってくると、またそこでさらに世界が広がる。
 原書房、吉川弘文館、論創社、平凡社の棚のあたりは背表紙を見ているだけで楽しいし、よく知っていると思っていた福音館書店が思いがけない本を出していたりしてびっくりする。
 いろんな出版社の本を見るうちに出版社それぞれの得意分野もなんとなくわかるようになって、そこからまた読みたい本が増えていくのだ。
 そんなふうにひとりあそびを憶えて、いろんな出版社のことを知って、それが高じて、福岡からそのためだけに東京国際ブックフェアに出かけたりもした。

 けれど仕事が忙しく週末にも出かけることができなくなることが、年に何度かある。
 そうなるとひとりあそびなんてさすがにやっている暇はない。数週間ぶりに本屋さんに出かけると、その間に買えなかった新刊を探して右往左往し、その途中で出ていることすら知らなかった新刊を目にして手に取ってしまう。
 テンション高く買い物をして帰る道すがら、そういえば今日はひとりあそびもしなかったな、と思い出す。

 この遊びの良いところは、少し間を開けて本屋さんに行くと棚の在庫状況が変わっているから、また新たな勝負に挑めることだ。
 先月は忙しくてあまり本屋さんをじっくり見ることができなかった。
 今月も新刊の棚はずいぶん見たけれど、在庫の棚はあまり見ることができていない。
 そろそろまたひとりあそびをしに出かけようかと、ゆっくりと時間が取れる週末を私は心待ちにしている。

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