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アメリカと戦った男「チェ・ゲバラ」前編

チェ・ゲバラをご存じでしょうか。
人気があり、Tシャツや壁画のデザインなどに使われたりして
なんとなく名前や顔を見たことがあるという方もいらっしゃるかもしれません。

自分もその1人です。
彼がどんな人でどんな偉業を成し遂げたのかを調べてみると、
とんでもなく面白く、本当にあるんだ。というようなドラマのような話を知りました。
早速ご紹介しましょう。

・医師を目指していたゲバラ
彼は革命家や政治家、キューバ指導者として活躍していました。

実際に名前はエルネスト・ゲバラと言いますが、
「チェ」というのは、「やぁ」や「ダチ」などと親しみを込めて呼びかける際の言葉であり、
ゲバラが良く「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶したことで
「チェ・ゲバラ」と呼ばれるようになったそうです。

そんなゲバラは、1928年、アルゼンチンで生まれます。
親は実業家であり、母親も親が政治家であったりと裕福な家庭で生まれたゲバラ、
なんと、キューバではなく、アルゼンチンで生まれ育ったそうです。

ですが、ゲバラは未熟児として生まれ、2歳の頃から重度の喘息で診断されました。
喘息の治療のために数回引っ越しもしているそうです。
好きなラグビーなども、プレイ中に発作を起こしては酸素吸入器で使用し、
また試合に戻る。というような苦しい生活を送っていたそうです。

これを知って僕は「死ぬ気かよ。」と思いましたが、
好きなスポーツができないのも大変苦しいと思いますので、しょうがないのかなとも思います。

そんなゲバラでも、本を読むことや勉強をすることは嫌いではなかったようです。
青年期には、ブエスノアイレス大学医学部で医学を学びました。
医者を目指したのです。

ですが、23歳になって迷いが生じたようです。
「僕は薬学研究所にも病院にも試験にもうんざりしていた。」
と、医者の友人とバイクでラテンアメリカを旅するようになりました。

そこで見たのは、チリでまず喘息患者に出会う。
自分と同じ喘息を持つ患者に出会うが、貧困によって、自分とは違い薬を買うことができない。

そのころ、ラテンアメリカでは貧富の差が問題になっていた。
大地主や政治家などが一部だけが贅沢をし、国民の大勢が安い賃金で働かされていた。
こうしてゲバラは、不平等に喘ぐ人々に心を寄せていったのでした。
そんな、裕福であるアルゼンチン以外の、南米各地の貧困状況を見聞しつつ、

「ラテン・アメリカ最初のマルクス主義者」と言われるホセ・カルロス・マルテギリの著書を読み、影響を受けることで、「マルクス主義」に共感を示すようになりました。

・ゲバラ25歳 2回目の旅

ゲバラは大学卒業後、ボリビアへ。

当時、ボリビアでは革命が起きていて、平等な社会を国民が求め、内戦が始まっていた。

「僕は激動の時代を迎えたボリビアにとても興味を持っています。

でもこの国では他人が命を落としても関心を持たず、自分とは関係ないという態度を取る人が大勢います。傍観者である僕も、その同類に過ぎません。」

とコメントを残している。

その後、グアテマラに移動。
ここからがゲバラの人生が大きく動いていくことになります。

当時ガテマラでは「アルベンス政策」が発足していて、農地改革が進んでいました。
グアテマラ国土の70%を大地主が所有していました。

そのため、農業の利益のほとんどを大地主に取られ、
農民は、貧しい暮らしになってしまう。

そこで、国が大地主所有の土地を安く買い取り、
農民に分け与えることで、貧しい人にも利益が得られるようにしたのでした。

「ボリビアも面白い国でしたが、グアテマラも面白い国です。
ここでは自分の興味を持ったことでまじめに働ける可能性があります。しばらくここに滞在してみるつもりです。」ともゲバラは残しています。

ですが、大きな事件が発生します。
農地改革を進める「アルベンス政権」を打倒しようと、
隣の国から軍事攻撃を受けます。
なぜでしょうか?それは、「アメリカ合衆国」が背後で動いていたから。

アメリカの大企業がグアテマラを始め、中米やカリブ海諸国の多くの土地を所有していました。
農地改革により、大損害を受けたアメリカがこのアルベンス政権を攻撃しようとしたのです。

これに対しゲバラも対抗しようしました。傍観者ではいられなくなったのです。
「僕は、銃をとるつもりです。正義を勝ち取るための武装です。
アメリカ人に、他人の家に、土足で勝手には入れないことを分からせてやるために戦います。」

ですが、アメリカの攻撃によりアルベンス大統領が国外逃亡します。
これにより改革派政権は、崩壊することに。
ゲバラも、1人の旅行者に過ぎないため、国外逃亡することを選びました。

ここで、ゲバラはアルゼンチンに戻らず、
メキシコに移動することに。

・27歳 カストロとの出会い
メキシコで、「フィデル・カストロ(29)」に出会います。
キューバ政権に反対し、革命を目指しているリーダー的存在でした。

キューバでは、経済を支えるサトウキビの輸出が問題になっていました。
このサトウキビも、地主とアメリカ企業が利益を独占していたのです。

一部の富裕層と、大勢の貧困層で分かれ、これをどうにかしたかったカストロ
カストロの裕福な階層出身の弁護士でした。
ですが、貧しい人々の救済を目指していました。
カストロも26歳の時、武器を取り、若者を率いて武装蜂起。
戦いには破れメキシコに逃亡したものの、キューバの民衆にとっては、
革命の希望の星でした。

そして、ゲバラと出会ったカストロはこう熱弁しました。
「キューバをアメリカ人共の侵略と搾取と抑圧から開放するには、
武器を取って戦う以外、道はない!」

その熱意に動かされ、共に戦うことを目指すゲバラだった。

続く。

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