見出し画像

影響の範囲の中でできる事

こんにちは。最近ウォーキングデッドの見過ぎによる錯覚で、擦り傷が全然痛くないひろきとーげです。

今回は僕の高校時代の話です。あんま話したことのない本音だらけの内容になっているので、高校時代の同級生には見られたくない内容です。どうかこのお話は墓場まで持っていってください。

それでは僕のnote #10 です。ノート(どーぞ)


影響の輪

ここ最近自粛生活でよく本を読むのですが、この前「7つの習慣」という本を読みました。その本は簡潔にいうと、成功するためにまずは人格から変えないといけませんよ的な、自己啓発本です。
かなり有名な作品らしいのですが僕が知ったのは本当に最近で、僕の周りでも読んだという人が大勢いるのでまだ読んでいない人は是非。

その「7つの習慣」のなかにすごく印象的なことが書いてあってですね、

人間は”関心の輪”と”影響の輪”を持っているという話です。
これだけじゃさっぱりわかりませんね。今から書きます。
人には関心の輪と影響の輪があります。関心の輪は自分が関心のある範囲のことで、影響の輪は自分の行動で影響できる範囲のことです。

自分の関心にばかり目を向けてしまう、関心の輪の中にいる人は、変わりもしない相手の欠点を愚痴ったり、雨が降るだけで不機嫌になったり、自分ではコントロールできない範囲の事柄にばかり着目し、消極的なエネルギーを生み出します。
一方、影響の輪の中にいる人は、自分が影響できる事柄に着目し、そこに対して心血を注ぐことで行動が主体的になり、常にポジティブなエネルギーを生み出します。結果として、影響の輪は大きくなり、何事に対しても可能性は上がっていきます。

すごく簡単に説明しちゃいましたがざっとこんな感じです。
(詳しいことは本に書いてあるので、自粛期間を使って読んでみてください。)



関心の輪の中に住んでいた僕

これを聞いた時、「ドキッ」としたのは僕だけではないと思うのですが、多分僕が一番「ドキッ」としたに違いないです。つきましては、後日、どっちの方がいっぱい「ドキッ」としたか、zoomで語ってバトルしましょう。対戦お待ちしております。
Sincerely yours

なぜそんなにも「ドキッ」としたのかというと、自分が関心の輪に定住している気がしてならなかったからです。
そこで僕は、「いや、ワンチャン違うかもしれない」という淡い期待を胸にほんの少し自分の過去を振り返ってみた訳なんですが、そんなワンチャンは訪れるわけでもなく、、僕はしっかりと関心の輪の中に築5年くらいの一軒家を持っていました。こりゃまいったな笑

と、いった感じです。


高校サッカー時代

振り返った時に、1番関心の輪の中に僕がいたのは間違いなく高校時代です。
小中とサッカーをやってきて、高校でもサッカー部に入った僕は、最初の方は比較的いい感じ。でもまぁすぐにその厳しさを痛感する訳です。とにかく必死になっていたそんな当時、毎週水曜日にある、きついきついフィジカルトレーニングが本当に嫌いでした。
嫌いなトレーニングとはいえ、


心の底が馬鹿みたいに真面目な僕のことなので。


きついことすれば必ず成長できると信じていた馬鹿単純な僕のことなので。

きついきついと思いながら、鬼のような形相で「きつくないぞ!おい!いけるぞ!やれ!もっと!」と、叫びながら一生懸命に取り組んでいました。ただ、一つだけ納得でいないというか、本当に意味がないだろと感じてしまうトレーニングがありました。

「これが昭和の考えか。脳筋がシャシャリやがって」
「時代は変わってんだよ。昭和のフィジカルトレーナーの頭はアップデートしないのか低能が」
「このトレーニングがどう言った効果を発揮するのか具体的に説明するのが仕事だろクソが」

と、かなーり誇張するとこんな感じで思っていました。(これが実は本音だったということは秘密にしておいて下さい。)

でも、部員ほぼ全員がそれなりに不満を持っていたとは思うんですが、主体的に自分の影響できるは事に集中している人もいたなと、今になって気づいたんです。
愚痴ばかりのふてくされてる関心の輪の中の僕の横で、
もう仕方ないと腹をくくり主体的に取り組む人がたくさんいました。

僕は、言っても無駄なことを並べて大いに時間を無駄にして。
主体的な人は、行っても変わらない事には目もくれず突っ走っってました。

恥ずかしです。情けないです。一発ぶん殴りたいです。



影響の範囲の中でできること

自分が影響できる範囲内で何ができるのかってことなんですけど、これはも何度も文章の中に出てきましたが、”主体的”になることしかないです。
自分が変われば、何かが変わるかもしれません。変えたい人を変えられるかもしれません。文句ひとつ言わずに取り組む人を見れば自分もやらなければという風になります。
相手が主体で、自分を認識すると主体的にはなれません。常に相手の行動に反応して。消耗して。良質な時間にはもちろんなりません。
高校時代の僕はまさにこれで、言ってしまえば雑魚です。

ただ僕は今、高校時代の自分が雑魚だということを認識できるところまで運良くこれたので、ここからひろきとーげの第2章を始めようと思います。
「コロナちゃんうざい!」なん言って、自分ではコントロールのできない関心の輪の中に住むのはやめます。

コロナだろうが、なんだろうが、
大学3年、4年になって自分のことを老害だとしょうもない自虐をする人を横目に、僕は0.2歩くらい先を歩きます。まだまだ若いんで。老害にはなりません!

主体的に、影響の輪の中で。今日も自粛します。


(P.S 真ん中あたりでかなり罵倒しました。すみませんでした。)

ひろきとーげ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?