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義務教育は役に立つのか?

 先日、『学歴がいったい何の役に立つのか?』という記事を書きました。

 アクセス状況を見るに、わりと反響があったようですので、それと対比するために、今回は義務教育について書いてみようと思います。


義務教育とは地面のようなもの

 義務教育とは、たとえるならば地面のようなものだと言えるでしょう。
 地面が無いと、とても困るのに、
「地面があってありがたい」
と思う人はいません。
 全員に平等に、当たり前にあるものには、得てしてありがたみを感じないもののようです。

 同じように義務教育も、とても大切なものであるのに、全員が受ける教育であるために、ありがたみがありません。
 逆に、一部の人しか受けられないであろう専門教育や『学歴』のほうを羨ましく思ってしまいます。
 義務教育の上にそびえたつ『学歴』は、もしかすると地面の上に立つビルに見えるのかもしれません。
 それが高学歴となれば、高層ビルに見えてしまうのかもしれません。

 しかし、高層ビルの建築者こそ、地盤の重要性を知っています。
 緩い地盤にビルは建てられません。建てても倒れてしまいます。
 学歴も同じです。
 義務教育の基礎が固まっていないと、学歴を積み上げることができません。あるいは、積み上げた学歴を役に立たせることができません。
 高学歴者ほど、義務教育の重要性を知っているのです。

 また、しっかりとした地盤を作れていたら、必ずしも高層ビルを建てる必要もありません。
 スタジアムを建ててもいいですし、工場を建てても良いでしょう。
 野球選手になるにしても、工場勤務するとしても、義務教育という地盤をきちんと固めておくことが、選択の幅を広げる手助けとなるはずです。


義務教育に対する誤った期待

 さて、義務教育が重要だという話をすると、
「では、中学校で習った英語で、通訳の仕事ができるのか!」
「小中学校で習った算数や数学で、学者になれるのか!」
というような声が時おり聞かれます。

 断言しましょう。できません。

 なぜなら、日本の義務教育で学んだことは、日本人全員が知っていることであり、日本人全員ができることだからです。レアリティが全くありません。
 誰でもできることに対して、
「あなたにお金を払ってこの仕事を頼む」
とは、普通はなりません。

 体育の授業で野球や水泳を習ったからと言って、
「これでプロ野球選手になれる!」
「水泳でオリンピック選手になれる!」
と思う人はいないのに、どういうわけか、英語や数学に対しては、それが職業にできると過剰な期待をしがちです。
 しかし、義務教育の内容だけで、職業人としての資質を身に付けることは決してできません。
 そして、そのことを残念に思う必要もありません。
 地面を固めている最中なのです。地面だけで商売ができる、と気を急いて誤った解釈をしないようにしましょう。

 また、誰でもできることでは仕事にならない、と先ほど言いましたが、アルバイトなどは、むしろ義務教育だけでできる働き方だと言えるでしょう。
「私にもできるけど、時間がないので、代わりにやってほしい。お給料を出すから」
と頼むことができるのは、せめて義務教育を受けているという前提だと言えます。
 もし義務教育を受けていなかったら、このようなアルバイトさえも、頼まれなくなることでしょう。

 「知っていて当然」であることを知らずにいることは、とても大きなハンディキャップになります。
 そのようなハンディキャップを負わないために、義務教育は疎かにはできないことなのです。


日本人の共通認識は義務教育で成り立っている

 日本人同士でうまくコミュニケーションが取れるのは、お互いが日本語を喋るからだけではありません。
 同じ文化で育ち、同じ水準の義務教育を受けているから、うまくコミュニケーションが取れるのです。

 試しに一例として、
「江戸時代の医師、杉田玄白らが蘭学書『ターヘル・アナトミア』を日本語に翻訳した書物の名前は?」
というクイズがあったとします。
 即答できる人もいるでしょうし、少し考える人も、
「聞いたことあるけど、答えはわからない」
という人もいるでしょう。
 ここでの答えは『解体新書』になりますが、詳しくは知らなくとも、初耳ではないはずです。
 義務教育の内容から出題しているからです。

 比較対象として、義務教育の範囲外からクイズを出します。
「酸素分子には、孤立電子対はいくつあるでしょう?」
 いかがでしょうか?
 ほとんどの人が、答えが分からないどころか、問題の意味がわからないのではないでしょうか。
 答えは「4対」だと言われたとしても、「へぇ」とも「なるほど」ともならないと思います。
 そして、このような全く知らないジャンルの話題になったとしても、「興味がない」という心境になることと思われます。

 ここはクイズでの例を挙げましたが、これは日々の会話全てに言えることです。
 我々人間は、知っていることにはよく反応し、知らないことには興味を持てない存在です。だから、相手が知っていることを話題にしたいと考えるのですが、知っているか知らないかの判断材料が、義務教育になるのです。
「これは義務教育で習ったことだから、当然知っているはずだ」
「これは義務教育の範囲外だから、わかりやすく説明しないと、たぶん通じない」
 そんな判断が無意識のうちにできるのも、義務教育という共通認識を日本人全員が持っているからに他なりません。

 テレビで、大学教授などの専門家が、学問上の難しい話をするとき、一般人にもわかりやすいように噛み砕いて説明しようとします。
 そのとき、どの程度まで噛み砕くかという基準も、義務教育基準だと言えるでしょう。
 もし義務教育を受けていなければ、そこまで噛み砕いて説明されたのに、それでも理解ができない、ということになります。

 今現在、誰とでもコミュニケーションが円滑に取れるのも、テレビの内容が理解できるのも、義務教育が行き届いているからなのです。


義務教育で学ぶこと

 もしかすると、
「義務教育で習ったことは、大人になっても役に立たない」
という意見は根強いかもしれません。

 なるほど、その認識になるのは当然のことです。
 別のたとえをすれば、
「呼吸ができたとしても、大人になって役には立たない」
と言うようなもので、それはその通りのことでしょう。
 呼吸ができないと死んでしまいますが、呼吸ができたから何ができるのかということでもありません。
 義務教育とは、そういう類のものであるという理解が、まず必要となります。

 また、
「分数の割り算ができたから、いったい何になるのか」
というような、具体的な計算式の無意味さを嘆く声も聞きますが、義務教育の重要な点はそこではありません。

 たとえ何の役にも立たない知識やスキルを身に付ける授業であったとしても、「何の役にも立たないことにでも、根気強くコツコツとやり遂げられる能力」が身に付くことになり、これはこれで重要な要素です。
 また、「ひとたびルールを聞けば、それを即座に理解し、応用できる力」を身に付けることも、とても重要です。サッカーのルールを知ればすぐにサッカーができるようになり、会社の規則を知ればすぐに会社に馴染むことができ、ビジネスのルールを知ればすぐに稼げるようになるための力です。掛け算のルールを聞いて掛け算をマスターし、割り算のルールを聞いて割り算をマスターするように、算数や数学ではたくさんの訓練をして「ルール順応性」を身に付けることができます。
 重要なのは「ルール順応性」を鍛えることであって、それが掛け算であったり割り算であったりするのは、重要性として二の次なのです。

 また、「考える力」や「解く力」を身に付けることも重要なことです。
 その力は、大人になれば「問題解決能力」と呼ぶようにもなりますが、答えが分からなことに対してどのようにアプローチするかを考える必要が出てきます。
 そのアプローチの方法が、正しいアプローチか間違っているアプローチかを判断するのは、大変難しいことです。なにせ、答えが分かりませんから。
 だから、答えが分かっているシンプルな問題を例として、それを繰り返し解くことで解決するためのアプローチの感覚を身に付けるのです。
 ここでも重要なのは「アプローチ発案力」を鍛えることであって、それが分数であったり小数であったりするのは、重要性として二の次だと言えるでしょう。

 他にも、授業だけではなく、休み時間や給食時間も義務教育には含まれています。
 集団生活を学んだり、流行りの音楽や話題のマンガを知ったり、友達を作ったり。
 ここで得た情報も重要ですが、より重要なのは、情報の得方を知ることです。
 ここでできた友達も重要ですが、より重要なのは、友達の作り方を学ぶことです。
 友達付き合いとはいつも上手くいくとは限らないもどかしいものであることも、努力した時には結果が出るけどサボるとまた成績が落ちてしまうことも、他人と比較して自分の特徴を認識することも、義務教育の中で学ぶべきことなのです。


因数分解はどう役に立つ?

「小中学校で習ったことは、ほとんど覚えていない」
という人も多いことでしょう。
 しかし、それで良いのです。
 学んだ内容を覚えていないことは、全く問題ではないのです。
 上の項目で説明したとおり「ルール順応性」も「アプローチ発案力」も、覚えることではなく身に付いていることだからです。
 安心してください。ハードディスクの中に何も残っていなくても、CPUとメモリはちゃんと増設されていますから。

 そういうわけで、仮に何も覚えていなかったとしても、義務教育はきちんと機能しているのですが、「二の次」とは言っても、内容にもまた、それぞれに深い意味はあります。
 たとえば、数学で習った「因数分解」は、いったいどういう役に立つのでしょうか。

 数式を解くことだけに目を奪われてしまうと、「因数分解」の本質を見誤ってしまうかもしれませんが、「因数分解」とは「分解」したり「展開」したりして、どの項目が最も重要な項目であるかを見定めるための概念だと言えるでしょう。

 たとえば、仕事をはじめると、売り上げを上げるための方法を考えることになります。
 しかし、どうすれば売り上げが上がるのか、わかりません。
 そこで、売り上げを因数分解するわけです。
すると、

売上=客単価×客数×購入頻度

というような分解式になります。
 こうすると、一言に「売り上げを上げる」と言っても、「値上げする」のか「集客を増やす」のか「リピートさせる」のか、より具体的な方法が見えてきます。
 また、売り上げを4倍にするためには、「4倍に値上げ」するのか「2倍の集客で2倍のリピート率」にするのか、そのような案を巡らせる手立てにもなります。

 別の例として、ハンバーグの味をみる料理家を挙げましょう。
 その特殊な隠し味を解き明かすことができるのも、

ハンバーグ=ひき肉×玉ねぎ×卵×牛乳×隠し味α

というレシピに瞬時に分解できるからこそです。

 逆も真なりで、分解式から展開式に変換することも重要です。
 2倍の集客で2倍のリピート率が実現できる算段があれば、つまり4倍の売り上げになることがわかり、その実現にどれくらいの経費を使えるのかを考えることができるようになります。
 また、隠し味αの味を知り、これはハンバーグにするのがよい、と即座にアイデアを出せるのも、展開式に変換できるからです。

 このように、分解式を見て即座に展開できたり、展開式を見て即座に分解できたりするための変換のスキルを、因数分解の授業では学ぶのです。
「このままではわかりにくいから、よし、変換してみよう!」
という発想を学ぶのです。
「分解したほうが考えやすい」
「展開したほうがわかりやすい」
 同じものを右から見たり左から見たりしながら解決法を探るための訓練を、因数分解の授業では行っているのです。


義務教育は後から効いてくる

 このように、一見、何の役に立つのかわからないように思えることであっても、繰り返し訓練し、身に付けてきたからこそ、今の日本があり、今の我々がいます。
 訓練中は、やる意味が分からないことが多いですが、振り返ると、その意味深さに気付きます。

 僕は、義務教育中は文章を書くのがとても苦手でした。国語も苦手でした。
 それが、ライティングが好きになったのは、大学生になってからでした。
 鉛筆という筆記媒体ではダメだったのに、パソコンという筆記媒体になった途端に、物書きの面白さが分かるようになってきたのです。
 おかげさまで、今はこのような文章を書いております。

 また僕は、英語もそう得意ではありませんでしたが、マジシャンになってから海外を巡るにあたって、何の準備もせずに渡航できたのも、中学校の英語教育のおかげだったと思っています。
 38歳にして、そのありがたみを実感しました。

 いずれも、得意科目ではなかったものの、きちんと授業を聞いて宿題をしていたからだと認識しています。
 きっかけがあれば花開くような素養を日本人はみんな持っているのです。
 それは義務教育があるおかげです。

 ちなみに僕は、理科と数学はとても得意でした。
 おかげで、その特性は存分に伸ばすことができ、博士(理学)を取得することができ、大手化学メーカーで研究の仕事をすることもできました。
 このように、得意な科目を見つけて伸ばすことができたのは、様々な授業内容に触れて興味のある分野を絞り込めたからですし、苦手分野なりに渡り歩けているのも、きちんとした訓練をこなした結果だと言えるでしょう。
 いずれも義務教育があればこそです。


義務教育にリスクはない

 ここまで、義務教育の重要性を述べてきましたが、最高に大きな利点は、それだけの教育を受けるにあたって何のリスクもないことです。

 たとえば、『学歴』を積もうと大学、大学院に進学することは、リスクを伴うことです。
 数年を捧げなければならないことで、数千万円を支払わなければならないことです。
 失った若さと、支払った金額に見合うものであったならば良いのですが、必ずしもそうとは限りません。
 学位が必ず取れるとも限りません。
 数年と数千万円をかけた挙句に、『大学中退』となってしまうリスクも秘めています。
 ですから、進学するか否か、よくよく考える必要があります。

 一方の義務教育は、リスクが全くありません。
 そもそも、
「行くメリットもないから、行かない」
という選択をすることも、まずありません。
 たとえ「行かない」選択をする人がいたとして、
「じゃあその代わりに7歳からいったい何をするの?」
の答えとして、義務教育以上の答えを提示できる人は、まずいないでしょう。
 子役俳優は、その期間中に仕事をしていますが、それでも義務教育を受けているようですから、両立のできることだと言えます。

 そういうわけで、行く行かないの選択肢はないのです。
 「行く」一択なのです。
 お金もさしてかかりません。
 というか、「行かない」選択肢のほうがお金がかかるかもしれません。
 「行かなきゃ損」というレベルの話ですし、「どうせ行くなら、ちゃんとやらなきゃ損」という話です。
 この状態で、「行く必要はあるのか?」と考えるのはナンセンスでしょう。

 さらに、卒業後に「行った意味はあったのか?」と悩むのは、もっとナンセンスなことです。
 そこで後悔したところで過去へは戻れません。
 それよりは、
「意味があった」
と考えるほうが、よほど建設的なことです。
「どういう意味があったのだろうか」
と、具体的に考えて、意義を見出すことこそが、義務教育への正しい向き合い方だと思います。


 義務教育を受けている子供が、
「これは何の役に立つのだろう?」
と疑問に思うのは、当然のことでしょう。
「もしかして、何の役にも立たないのではないか?」
と不安に思うのも、当然の心境だと言えます。

 大人になって役に立つものなのかどうなのか、大人になる前にはわかりません。
 しかし、その疑問に大人が答えてあげられないとしたら、いささか残念だと言わなければなりません。

 自分の子供に、親戚の子供に、近所の子供に。
 目標が見えず思い悩む子供たちに、その教育が何の役に立つのか、皆さまにおかれましては、ぜひ希望を示してあげてくださいね。


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