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バドミントン・インカレに出場したいと気づいてから

「おーた、インカレでれるらしいで」

北風から電話もらったときは「???...!!」みたいな感じ。




中学・高校とバドミントン漬けの生活後、自宅と札幌駅前の予備校を往復する自転車しかほぼ運動っぽいことをしない生活を1年間送ったあと、京都大学に入学した。

高校までにバドミントンに関しては自分のできることはやったし、これ以上やってもあるラインを超えることはできないと体感していた。僕にとっては当然の流れで大学ではバドミントン以外のことに集中しようと思っていた。

ということで、バドミントンを競技としてやる情熱はほぼ消えかけていたんだけど、とりあえず見学だけはしとこう。ということで体育会バドミントン部の練習を見にいくと、そこには今まさに情熱を燃やしている先輩方がいた。あと、練習は週3日でそれなら他にも十分に時間がとれるので、やらない理由がなくなってしまった。完全には消えてなかったみたい。

1年半くらいまともに練習してないどころか机にしがみつく生活だった。それでも僕に期待してもらって入部してすぐに春リーグの団体戦に出させてもらった。でも体力的にも精神的にもコントロールするのが難しくて、貢献できなくて申し訳ないのと自分にがっかりしたのを覚えている。

夏も練習中倒れるとか暑くてしんどすぎて、なかなか思うような試合ができなかった。夏をすぎて涼しくなってからは、高校で体感した感覚と近いような感覚になったのもあってか、京都上位校のプレーヤーとの試合もある程度コントロールできるようになった。前みたいに、強い相手と試合できるのが楽しみになった。


そういう流れで、2回生に上がる頃にダブルスパートナーの北風と、大学生の全日本の大会ってどうやったら出れるの?と話をしていた。どうやら5-6月開催の関西選手権と9月開催の西日本インカレが全日本インカレ(全日本学生バドミントン選手権)の予選という位置づけで、上位まで入れば全日本インカレ出場権を得られるということを知った。

逆にいうと、1回生のときはその仕組みを知らなかったし、その二つの予選の存在も知らなかったのでもちろん出場してなかった。

高校までの生活習慣的には、せっかく練習するなら大学生の目指す全日本の舞台へ挑戦したい、ということになる。実際、自然とそうなっていた。もしその舞台に立てたとしても勝ち上がる望みは現実的にほぼないのだけど、そういう洗練されたプレーヤーたちのオーラで張り詰めた空間でプレーするのは確実に僕の人生の糧となる。

ただ高校の時とは少し違って、それは日々の練習をがんばるための"わかりやすい”道標みたいなものに近かったかも。トーナメントの組み合わせが良くて、かつ相手が最後まで*油断してたり、対戦相手が前の試合で疲弊してたら、チャンスはあるかもしれないから、僕ができることはやっておこう、と。

 *:大学名の"おかげで”最初はだいたいの対戦相手は油断している.


そんな感じだったので、春の関西選手権は授業と重なるし登録の仕方もよくわからないうちにパスすることになり、西日本インカレの一発勝負ということになった。


京都大学から出場したのは先輩2人同期1人と
僕とダブルスパートナーの北風。


西日本インカレ選手権が北九州市に近かったので、そこに実家がある先輩の家に泊めさせてもらいご飯もごちそうになった。おかげさまで、いつもの自炊よりきちんと食事をとれたのか体の調子はよかった。

組み合わせに関しては、シングルスはよくわからないけど、ダブルスはどうやらそんなには悪くないということだった。その意味は、その当時京都大学は関西リーグ2部に昇格したばかりだったのだけど、関西リーグ1部のレギュラー組は全日本出場権を得るベスト32に入るまでは当たらないということ。当然、関西リーグ1部のレギュラー組が相手では、ほぼ希望が持てない。



先に始まったのはダブルスで、初回戦は無難に勝ち進み、ベスト64決めでは関西リーグ2部のプレーヤーが相手だった。その日は体の動きもドライブ系の精度もいいし、なによりスマッシュが爆当たりだ。北風もミスショットせずに集中してネット前を狙えている。うまいことスマッシュを打つパターンに持っていければ点が取れる流れで、その勢いで勝つことができた。

そういうわけで勢いで想定外に、あと1試合でベスト32が決まるというところまできていた。その対戦相手は東海地区の(おそらく)一位だった。大学に入ってから関西以外で試合したことがないので、関西以外のプレーヤーのことはよくわからない状態だった。相手もおそらく僕らがどういうプレーをするのかわからなかったと思う。

序盤は前の試合と同様に、北風がなんとかネット前に忍び込んで、上がり際の球を強引に僕がスマッシュに持っていく試合展開で、1ゲームを取ることができた。2ゲーム目にはいると、相手がそのパターンを警戒し始めたのか、そのパターンで得点しづらくなっていって、こちらもミスが出るという展開で2ゲーム目を取られた。

3ゲーム目もそれまでの得点パターンを繰り返してこちらに流れを引き戻そうとしたけれど、動きはあまり良くなかった。ベスト32というのが多少ちらちらして一球への集中力が落ちたかもしれない。完全にそれで1球ミスしたことを今でも鮮明に覚えている。

全日本出場権獲得のベスト32まであと1ゲームという所まで行ったのは想定外だったけど、最後の試合中も終盤までずっと希望を持っていた。そういうわけで悔しかったけどそれも含めて楽しい思い出になった。

シングルスは珍しく最初から集中してきた相手にぼこぼこにされてしまった。大学では、序盤は相手が様子みながらの展開に慣れてしまっていて面食らった。まあ、それが普通なんだけど。






後日、北風から電話がきて

「おーた、インカレでれるらしいで」

という。


どうやら全日本インカレが大阪開催で関西の出場枠にあまりが出て、西日本インカレで出場権獲得できなかった組の上位にも出場権がもらえるという。ダブルスのベスト32がけでファイナルゲームまで縺れ込んだことが良かったのか詳細はわからないけど、枠に入ったということ。


僕の人生、想定外にうまくいったことを数えると、これと...んー...とあまり出てこない。もうちょっとあってほしいけど、、、、、
まー、自分でそうしてるから、そういうもんか。







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