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自由でいるための条件

色々な文章をつくって発表する日々を送っている。そのなかで、

一体何をしようとしているんですか?
国内の移民問題に興味があるんですか?
NPOや社会問題に興味があるんですか?

こんな質問をされることがある。

そして、そのたびに、私は割と真剣に困っている。どう話せばいいのか。

そういう質問をされると、私は何だか釈然としない話を大体5分くらいする。けれど、その答えは話している自分にとっても、それを聴かされている誰かにとっても、何だかすっきりしない印象を残してしまう。

あまり好きじゃないのが、生い立ち、特に生い立ちの「傷」から全部理解してやろうという質問者。人間ってそこまで単純な生き物ではない。矢印一本びーっと引っ張ってこれがこいつの人生だなんて。まあ、言えたら早いし楽なのだけれど。

こちらの問題ももちろんある。

話があまり上手でない。頭の中があんまりよく整理されていないというのもある。話すより書く方が得意だなあという感覚もある。即興で面白いことを言う楽しさもわかるのだけれど、練り上げた文章をゆっくり読んでもらう方が好きだ。

ある人が音楽をやっているように、自分も文章をやっている。そして、一曲一曲には意図があっても、つくっている楽曲の全てを何らかの大きな意図にもとづいてコントロールしているわけではない。案外、そんな風なことなのかもしれない。

木曜日、金曜日、月曜日。

ここ数日の間に3つの文章を公開した。1本は編集、残りの2本は執筆という立場で関わった。その3つを並べてみると、自分の関心の広がりと重心が少しだけわかるような気がする。

この3つの記事は、見た目のテーマこそ様々であれ、そのどれもが、国家や社会、都市の「窮屈さ」を描いている。その窮屈さを「器の小ささ」、「人間を受け入れる力のなさ」と言い換えてもいいかもしれない。

私たちはみなこの地球の表面で生まれた。そして地球の表面のさらにその上には国家や社会、都市といった歴史的に構築された様々のレイヤーがかぶさっていて、そのレイヤーのうちのどこに産み落とされるかによって、一人ひとりの人間が経験する窮屈さの種類や度合いが変わってくる。

人間の窮屈、その深刻さに程度の差があるのは当然だ。無国籍であることの方が、学校で自分らしくいられないこと、街でゆっくりできないことに比べてはるかに重要な問題であるとは思う。一面、それはそうであると思う。

しかし、その定規に当てはめてどちらか一方だけを重んじたり、どちらか一方だけに関心を寄せる。それによってまた見えなくなってしまうものがあるとも私は思っている。

人間が通過する窮屈さを微細に眺めてみれば、そのそばにはあらゆる種類と水準の居心地の悪さ、不安、不快、痛み、飢え、憤り、恐れ、孤独、そして死が広がっている。

その重苦しさを拭い去りたい。そんな思いが過去の人間たちを突き動かして時々のレイヤーを改変する動機と力を与えてきた。そうした試みの成功と失敗の歴史の積み重なりのうえに現在の私たちは生きている。

ある日、久々に近所のチェーンカフェに寄った。いつの間にか内装が一新されていて、気持ちの良かった窓際のテーブルはすべて数十センチほど高くなっていた。背の高くなったテーブルに合わせて、椅子も背もたれのない丸椅子のハイチェアに置き換えられていた。よっこいしょとお尻を乗せたらこぼれ落ちてしまいそうな、そんな丸椅子に。

無料でゆっくりするための広場を失った私たちは、何ともなしに落ち着ける場所を市場へと外注してしまった。市場はと言えば、その外注に対して自らの利益を高めるために椅子の座り心地を悪くすることで応答した。

「真に居心地の良い場所など万人向けの市場では提供不可能です。」そんな風に、新しく綺麗に配置されたテーブルと椅子が主張しているようだった。そして、それはきっとその通りなのだろう。

誰が悪いだろう?背もたれのないハイチェアに座ることを選んできたのは私たち自身ではなかったか。意識して、そうしたつもりもなかったのかもしれない。けれど、丸椅子にまたがった人々の背中はどれも揃ったようにぐぐっと折り曲がっていた。この状況はもう、巻き戻せないものなのだろうか?

私たちは地球の表面にかぶさった様々なレイヤーの中でしか生きることができない。酸素がなければ死んでしまうように、私たちは制度の中でしか生きることができない。しかし、そのレイヤーが、その制度が私たちを窮屈にもし、疲弊させ、殺してきた。

一体何をしようとしている?

そう聞かれたら、この窮屈さの実際を理解しようとしていると答えるのがいいのかもしれない。そのささやかな試みは、より色々で、より沢山の人たちを受け入れられる場所へと、この地球を変えていくということの一歩でもあるのかなと思っている。

地球の上で、様々のレイヤーの中で、一つの存在が受け入れられている。そんな状態に「自由」という言葉をあてはめてみる。人間はどうしたら自由でいられるのか。その条件について、考えているのかもしれない。

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