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せめて2022年をふりかえってから、2023年をはじめたい

2023年。みなさんどんな新年を迎えたでしょうか。僕はというと、気持ちの整理がつかない新年です。あまりに気持ちの整理がつかないので、なんとかしようと、夜更けにnoteを開いてみました。

さて、新年の抱負も落ち着いて考えることもできず、あっという間に時間が過ぎてしまっている & 寝ようと思っても頭がぐるぐるでなかなか寝れなさそうなので。タイトルのとおり、抱負までは辿り着けなさそうですが、せめて、2022年をふりかえってから、2023年をはじめたいです。

2022年のキーワードは?

2022年は、自分自身を頼りにする、そして他者への / 他者からの信頼を大切にする、という意味で「頼」という漢字をキーワードにしていました。とくに、自分自身を頼りにするというシンプルそうなことが、最近とても苦手だと感じていたから。

自分のことはどちらかというと好きな方でもあるし、自分のことを信じたいと日々思っているし、自分のことを応援もしたい。そう思ってはいるものの、自分自身を拠り所にできているかと言われると、全くもってできている自信がないのでした。昔から変わらずな気もするし、最近になって意識するようになった気もします。(これが得意なひとがまわりにいたら、ぜひいろいろと話をしてみたいです。)

キーワードをもとになにをした?

たまたま知った仏教の用語に「自帰依」ということばがあり、これはまさに自分自身を拠り所とする、という意味ですが、そのことばにも惹かれる自分がいました。(自帰依だけでなく法帰依、つまり人間の理法を拠り所にする、ということばもあり、ブッダはそのふたつが同一のものだと言っていたそう。これについてはいまも探究中です。)そこで、仏教、ブッダが説いたことを少しでも理解できれば、自分自身を頼ることがうまくできるようになるのではないか。そんな思いがあり、まずはほとんど何も知識がなかった仏教にまつわる本を読む1年にしようということを決めました。

同時に、自分自身を頼りにするために、なにか自分で決めたことを最後までやり抜く1年にしよう、ということも考えました。なんでもよかったのですが、月に100キロ、1年間で1,200キロを走ろう、そんなチャレンジを設定しました。なぜかというと、いちばんには、もっと速く走れるようになりたかったから。速く走れたら楽しそうだから。という、大真面目な理由でした。
(その少し前に受けた健康診断でいろいろと数値がまずかったこと、コロナ禍もあいまって当時とにかく運動不足だったこと、も、しっかりとした理由です。むしろ表向きにはこっちかもしれませんが。)

まずはやってみてどうだった?

仏教について読んだ本の話は、ここでは詳しく書きませんが、これまでに10冊くらいは関係する本を読めたので、また内容については少しずつ紹介したいです。

走る方については、なんとかギリギリ、1年で決めたぶんの距離を走ることができました。7月、8月は、コロナウイルスに感染し、その後帯状疱疹のダブルパンチをくらって100キロ走れなかったのですが、その後はなんとか取り戻しました。

▲走る習慣の1年目としては、きっと上出来

近所のいつものジョギングコース、出張先での朝ラン、雨の夜のロング走、高尾山でのトレラン、実家での坂道ラン、などなど。時にはひとりで淡々と、時にはゆっくり音楽を聴きながら、Podcastを聴いて考え事をしながら、友達と話しながら、家族と一緒に。いろいろなところをいろいろな状況で走りました。

▲沖縄も、京都も、鹿児島も、福島も、三重も、東京も。いろんなところを走れました。

おかげで、単純に走力は、1年前よりも少し成長したと思います。前よりも少しは速く走れるようになった!ということがまずひとつ、うれしいことでした。しんどい時もあったけれど、楽しかった。この話題だけでランニング界隈の友達と話したいです。

やってみて気がついたことは?

仏教について本を読みつつ、走ることを続ける(つまり、決めたことを実践する)中で気がついたのは、「決めることそのものが重要である」こと、そして実践しないと感じることのできない「頭で理解するを越える、わかる感覚がある」ことでした。

「決めることそのものが重要である」

そもそも自分自身を頼りにするためには、頼られる本体である自分に何かの軸のようなものがないといけない。最近の自分にはもしかしてそれが足りていなかったのではないか。そんなことを思いました。
そして、その軸のひとつとして、何かを決めた自分を自覚することが重要だとわかった気がしました。

とにかく走ると自分で決めたから1年間継続して走れたのであり、誰かに決めてもらったり指示されて走れることではなかったな、と思います。また、今日はやめておこうかなと思ったときにも、やっぱり走ろうと思えたのは、決めた自分の存在が意識されたから。まずはなにかを決められるか、そしてその決めた自分の存在を意識できるかどうかは、小さいようで大きな違いだな、と改めて感じました。(それでもやっぱり走れない日も、たくさんありましたが。)

結果として、何かを自分で決めたことで、決めた自分が軸となり、そんな自分自身を拠り所にできることにつながった。そんな気がしました。
さらに、こうして自分で決めたことを1年間続けられたから、きっとなにか他のことに対してもできるはず、という小さな自信にもつながりました。

「頭で理解するを越える、わかる感覚がある」

これはまさにひとつめの「決めることが重要」ということを頭で理解することを越えて「わかった」感覚になったことそのものです。言い換えると、もし、この「決めることが重要」ということをなにかの本で読んで、なるほどそうだよな、と思って何も実践しないのでは、「わかる」には辿り着かないだろうなということ。

結果として、こうして実践してわかりはじめた自分自身のことを、これまでよりも少しだけ、拠り所にできそう。つまり「わかりはじめた自分」を自覚することが、自分を頼るためのふたつめの軸になるのでは。そんな感覚にもなりました。

せっかくなので長い補足:付け足すと、このことは仏教を含む東洋哲学全般の話にもよく出てきました。平たく言うと、幸せになるための方法を頭で理解すること、知識として知っていることがゴールではなく、幸せになるための方法を実践するなかで本当の意味でわかる(=幸せになる)ことが、東洋哲学の目指すゴールであること。

これは基本的に読んだ本に共通して書いてあったことで、この「実践して本当にわかる」ことがとても難しいよね(=つまり本当に幸せになるって難しいよね)、ということが古今を問わず共通の問題意識としてあるようでした。そして、結局どうすればいいの?については、さまざまな論や実践があり、そのひとつひとつもじっくりと吟味してみたい、と思いました。

話を戻すと、知識として得た「頭で理解することと本当の意味でわかることに違いがある」ことを、実感として「わかりはじめた」ということも、うれしいことでした。知識だけでも実践だけでもだめ、つまり本を読んだだけでも、走っていただけでも不十分だったかもしれない。知識と実践が合わさって自分の「わかる」につながることを、仏教の本を読みながら走ったことによって体感できたのは、とてもよかったと思います。

わかってきたことは、よかったけれど。

『自分自身を頼るということをうまくするためには、自分に軸が必要であり、そのためには「何かを決めた自分」、そしてそれを実践するなかで「わかりはじめた自分」を自覚することが重要なのかもしれない。』

そんなことがぼんやりとわかってきた2022年だったのかな、と思います。これが自分にとって絶対的な正解だともまだいえないけれど、体験によってわかったことなので、自分にとってはこれは結構すごいことだ、とも思っています。

一方で、これだけで本当にいいの?ということも感じました。これまでに書いた2つの軸は、どちらも自分自身にベクトルが向いていて、自分の中で完結するかのように思えますが、それだけで本当に自分を頼れるのかな?ということが新しい問いとして浮かんできています。(冒頭に書いた、自帰依と法帰依ということも頭にちらついています。)

そして、もうひとつ。夏のコロナからの帯状疱疹の後遺症で、これを書いているいまもまだ神経痛が残り、薬をゆるゆると飲んでいる状態です。そして、身体の不調が続くうちに、心の方もあまりよいと言える状況ではなくなっていきました。このことについて、自分を冬の季節と思いながら、季節が巡るのを待っている、そんな1年の後半戦でもありました。(これもちゃんと言語化したほうがよさそうですが、一旦省略します。)
そして、いまも体、心の不調がだらだらと継続中です。いい1年だった?と聞かれたら、少し考えてしまうな、と思う自分もいます。結局、体調が悪かったり、自分の心がよくない状態だと思っているうちは、自分自身を頼りにはできないではないか、ということも感じました。たぶん、自分の状態が良くないと、なにかを決めることや実践すること自体もうまくできなくなってしまうから。

というわけで、わかってきたことは、よかったけれど。それでも二進も三進もいかない。そんなもどかしい1年だったと言えると思います。

さて、2023年はどうしよう。

さて、どうしよう。長々と書いてきましたが、自分にとってよいと思える1年を過ごすには?そのために、抱負が必要だとしたら?それはこれまでに書いた内容から、次は「決」や「行」ということばが想像できる気もするし、なにかまた別のキーワードかもしれない。もう少し考えて、続きの文章が書けたら、また公開したいと思います。

約1年のあいだ、もやもやと頭にあったことをずるずる引き出して書きはじめたので、思っていた3.5倍くらいの量になってしまいました。他者の読み手を想定したわけでもなく、頭の中を整理しただけの文章ですが、せっかくなので、また未来の自分が読み返してくれることを願って、残しておきます。

最後になってしまいましたが、みなさんと、それから自分自身にも。
本年もどうぞよろしくお願いします。

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