私の芸術運動186狂気の沙汰

本当に今月は月初めから沢山のことがありました、予定変更も土壇場で余儀なくされながらも何とか乗り切りました。本当に一旦ここで全てが終わります。

大袈裟かもしれませんが色んな事に区切りがつきました。仕事関係の事も、人間関係の事も、住む場所すら変わりこれら全てがこの1ヶ月の間の事ですから、なかなかに畳み掛けられたような気分ですが、一息ついてみると心の底からワクワクしたものが押し寄せて来ているのを感じています。

そして6月に入った今、仕事も見つけないと行けないし、引っ越しもしなくちゃいけないし、他にもいろんなやるべき事がありますが私の心の中にはなぜか余裕があるのです、全く理にかなわない事ですが私はそういう人間なんでしょうね。

だけど私がこうして絵を描いている間に

どこかのステージでミュージシャンが熱唱している間に

ダンサーが踊っている間に

ゲームに没入している間に

仕事をこなしている間に

散歩している間にも

どこかで誰かが助けを求めていたり、苦しんでいたり、襲われたり、誰かに心や身体を壊されたりしているわけです。

そして私達も知らず知らずのうちに貧しくなって行って何も考えられなくなって行っているような気がする、これは比喩じゃなくて本当の話なんですよ。

だからって今感じている楽しい、嬉しいという気持ちがいけない事じゃない、私も絵を描いていたりしながらぼんやりと幸せだなぁーと感じます。

自然を見て心安らいだり、本を読んでいろんな感情を感じたり、映画を見てワクワクしたり、珈琲をのんでのんびりしたりしています。

だから余計に世界は狂ってると感じてしまう。

芸術で世界を変えるぞと私は思うけど、私が絵を描けばみんなが幸せになるわけじゃありません、絵を描きながら思うのは世界を変える方法は絵を描いて有名になって絵が売れてそのお金を募金箱に突っ込む事じゃ無いんだ!と

心持ち、観点、感受性、価値観、をインスピレーションとして発信する事なんじゃ無いかなと。

今は絵空事です、そう捉えられても仕方ない

だけど、そうなって欲しいという思いは本当です、今を生きている人間だけが今この世界を変える事が出来る、そりゃー作ってる人間達が変われば世界だって変わります。世間一般で偉いと言われている人たちが世界を作ってるんじゃ無い、私達が作っているんだから私達にしかできない事だと思うのです。

世界が幸せに包まれる様な絵を描くのでは無くて、世界が幸せに包まれて欲しいと思うインスピレーションを絵に表現したいのです。

幸せを感じ取る感受性を持つ事が大切。

政治は社会を作ろうとしてますが、正直今の日本人が政治に無関心なのはそれじゃ良くならないと思っているからです。

人の心を刺激するのは政治じゃ無理だ、少なくとも今の政治の在り方じゃ難しいと思う、だって良くなっていないもん。

やっぱり芸術がなければね。

たとえ良い社会の中でだけが幸せでも意味が無いんです。

政治家を叩いても良くはならない、それは実証済み、冗談抜きで私達で幸せを築いていく。

物に溢れた生活が幸せでしょうか?

利便性の高い立地に住んでいい職に就く事だけが幸せでしょうか?

何が幸せかわかっていなければ掴めはしない気がする、私は画家として十人十色の幸せのカケラを絵に散りばめているつもりです。

私の絵なんて誰か一人に買われてお金にならなくていいのです、誰か一人にでも何かインスピレーションを起こせれば良いのです。

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