私の芸術運動190想像上の遊び

効率化を図れば自分の人生の余白が増え、余裕が生まれゆとりある人生となり得るだろうか?

はたまた効率化を図る事によってどういうわけかあっという間に時間が流れてゆきあっという間に過ぎ去って行ってしまうのか?

普通に考えれば前者が妥当、しかし本当にそうだと言い切れるだろうか?時間の効率化、有効活用、生産性、これらが人間をより豊かなものにしてくれる大事なこととなり得るだろうか?そもそも効率化して捻出した隙間時間に何をすれば人生が豊かになるだろう?捻出した隙間時間に本当の自分のしたい事をすればより豊かになる?逆に言えばその捻出した隙間時間に何かをしなければ人生はあっという間に終わってしまう、もしくはこれもまた矛盾した話になるのだがその隙間時間を捻出する事によってその限られた時間の中でしか自分の時間を持てない様になってしまうという極論も頭をよぎる。

つまり自分の本当のというと語弊があるけど、そういう心に繋がる時間すら効率化されてしまうんじゃ無いだろうか?

私は昔から自分の中でだけやる想像上の遊びがある、それは他の人と共有する事が難しいしその遊びの意図をうまく伝えることも出来ない、それがどういうものか?というと簡単な遊び

例えば歩いていたとする、並木が左右に並んでいてトンネルの様に空を葉が覆っていてその隙間から黄緑色の眩しい光がチカチカと降り注ぐ中で、葉や枝が風に揺れて擦れる音に集中しながら息を軽く止める、その間自分の中に流れている時間を引き延ばす、もしくは縮める意識を持つ!というものだ。

時間が伸縮したという事実や証拠はもちろん無いが、軽く1秒くらいは捻出できた様な気がする、例えばこれを何かに焦っているときや、イライラして落ち着かない時に応用したりする、水を飲んでグラスを置く時にわざとゆっくり置いてみたり、呼吸のペースをわざと引き伸ばしてみたり、珈琲を飲む時に香りを嗅いで体に染み渡らせるのに時間をゆったり使ってみたりする、これは一見時間の無駄なのかも知れないけれど、不思議な事に日常生活の上でこの数秒間がマイナスではなくて、むしろプラスに換算された様な気がするのだ、差し引き1秒か2秒は表現が難しいけれど時が止まった様な感じがする、私は30代だけど、同い年と比べるともしかしたら生きてきた時間に矛盾が生じているかも知れないがそれはわからないままである。

私は人によって流れる時間感覚が違うと思う、絵を描いていて特にそう思う様になった、感覚の問題、つまり自分の中の時間なら多少干渉できるんじゃないか?という想像上の遊びであり、ある意味で瞑想に近いかも知れない。

これは実証される日が来るのかな?

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