私の芸術運動173モチベーション
昨日また絵を描き始めました。サムホールサイズのキャンバスに最近部屋に活けてる花の絵を。
だけど描き進めていく内にこれじゃ無いなぁー今はという思いが強くなって最後には全部消してしまいました。じゃー次は何を描くべきか?と考えている内にあれ?と思うことがありました。
それは、何をモチベーションに私はここまで絵を描き続けてくることができたのか?という疑問です。私はある日突然何で今の今まで絵を描くことをしなかったんだろう?と疑問に思ってその衝動に任せて描き始めたのが始まりでしたが何年間も個人でモチベーションを保つには動機が弱すぎやしないか?と思ったのです。
画家として絵で生きてゆきたい!!と思ってはいるもののそれは画家になるからには!という二次的な動機でしかありません、本当の動機じゃない事は私自身が一番わかっています。
それに付随して、絵を売りたい、有名になりたい、なんていうのはかなりおまけの動機です。
売れなくても良い!!なんてのは綺麗事だと言われますけど、事実それが私の絵を描く動機ではない事は明白です。世の中には画家になろうとして辞めて行った人なんてすごい数いるでしょう、趣味で始めた絵すら辞めてしまう人がほとんどです。自分ではそんなこと思いませんけど、私は周りの人がどうとかこうとかあまり考えない質の人間らしいのです。正直なところ私は自分が自然に始めた油絵という夢を淡々と続けて来た、しかもごくごく普通の事として、私がそうなのだからみんなも同じかそれ以上に凄いはずだと私はいつも自分を基準において考える癖があります、言い方を変えると私は本当の意味で他者に共感する能力が低いのだろうと思います。
私がこうなのだからみんなもそうだろうと本気で考えている節があるのです。
私がある日突然にえがき始めた油絵画家という夢を淡々と生きている事が普通だと私は思う、そのために仕事を辞めて、アルバイトに切り替えて時間を捻出しながら絵を描き続け色んな仕事をして社会勉強しながら生きてゆく。
だけど、そのモチベーションはどこからわいているのか?は全くわからないでいる。
もしかしたら現実からの逃避かもしれない、だけど逃避をモチベーションに色んな仕事を掛け持ちしながら絵を描き続けることが可能だろうか?それに私的にはそんなネガティブな動機ではない気がしています。
なぜ私にとってこれが普通と言えるくらいに当たり前の様にモチベーションが保てるのか?
そしてその出自不明のモチベーションで描き続けられて来た私の芸術とは一体何なのか?
「ごくごく普通のたわいも無いありふれた事」
と、私は思っていたけれど、正直内心では、これは世界に対しての嫌味だと私はうっすら気付いていました。
みんな人間に社会にシステムに流されてどんどん自然から世界から引き離されている事に気づいているだろうか?美しいものを見てもそれは肉眼で無くてスマホのカメラを通して見ている、みんなカメラを向けてる、その美しい自然を背景にした自分を撮ってる、そういう自分が好きなんだ。
近隣の街の知らない路地を通るだけでもワクワクするけれど、それは遠回りだから効率が悪い!!大して急ぎの用事でも無いのに。
人の多い歩道でばったり対向者と鉢合わせただけで舌打ちされる、後ろから自転車のベルを鳴らし続けられる、怒鳴られる、そんなにイライラせかせかしてどこにいく?どこにも行けない人に限ってそう。
私が日常で感じて描いているごくごく普通の事とは、みんなが忘れてしまいかけている事なんだ、みんなからすれば非日常になりかけている事、だけどそれは本当は非日常じゃ無い!!
私自身よく変わった人だねと言われる、だけど違う、みんな変わってると私も思う。
みんなそんな事も忘れてんのか!!
仕方ないから私が教えて差し上げましょう、ごくごく普通のたわいも無いありふれた事ですけどねっ!!!!!て事です。笑
めっちゃ性格悪いな私!笑
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