私の芸術運動189非効率な人生こそ芸術

仕事を辞めて、引っ越すことも決まり、転居先での新しい生活が始まると共に生きていくための仕事もまた同時に見つけていかなくてはならないなーと思うわけですが、私は正直1ヶ月くらいはゆっくりしようと思っていたのです。

引越しは6月の下旬で仕事は5月末で勤務を終えて6月はまるまる有給昇華に当てています。七月からどこで何をしようかなー?とぼんやり考えていたのですが家でぼんやり考えていると、少し焦りの様なものを感じてきたのです。
しかし仕事を辞めてからまだ6日しか経っていないことにびっくりさせられますし、6日間もろくに自分の時間を味わうことすらできない自分の心の狭さにがっかりしています。

思い返してみると私は自分の時間を持つことに昔から私なりのこだわりがあり、本を読んだり、映画を見たり、絵を描いたり、散歩に出たり、ぼーっとしたり、ただそれだけで充分に自分の時間をめいいっぱい使う事ができた、つまり何もない時間を平気で生きていられたのですが、最近はそうもいかなくなってきてしまった自分が悲しく思います。

カフェに行っても、コーヒーを飲んで1時間もしない内にじっとしてられなくなって外に出てしまいます、そのまま散歩しますが宛の無い散歩も最近は魅力を感じなくなってきており、ついつい隣町の映画館まで!などとゴールを設定して映画を見に行ってしまったりして、私は自分の時間を圧縮して早送りするかの様に生きている気がしてきました。

仕事も効率よく的確に、有給も上手くタイミングを見て使い、休みの日は無駄のない様に使う、喫茶店で珈琲を飲む、歩く、映画見る、歩く、帰る、携帯を見る。

うーーーん。なんだろう?無駄の無い時間の使い方?余白の無い人生?時間の効率化を図ろうとする今の世界は正直言って一昔前よりもうんと時間を圧縮してしまって、つまり時間が短くなってしまっている様なそんな気がします。

これは現代病と呼べるものだと私は思います、今の若い子達は携帯で見る動画すら早送りで見ると聞きますし、時間の効率化を図るものはそっくりそのまま自分の人生も効率化が進み無駄な余白は消されていってしまう、そんな感じが致しますし、それのたどり着く先はもはやロボットと呼べるものに人間がなっていくんじゃ無いか?と思う。

私は画家です、芸術を志すものとして、失われつつある最適化された人生の余白を取り戻すきっかけになればなと思ったりします、しかし効率良く生きていける事の何が悪いんだ?と言われると確かに何も言えません、人それぞれであり自分の最善を生きる事が人生ですから。

私はこれから先、そういう思想の違いで、効率化した人間と、非効率な人間と、に分かれていくんじゃ無いかなと思います、もしかしたらそれが明確に分かれたあとにお互いを見ると実際流れる時間に矛盾が生じている事に気づくかも知れません

私は効率のいい芸術というものは想像もできませんので、きっとアナログな感性の芸術家なんだろうなと思います、私はそれを失いたくありませんし、それを楽しんで生きていける人間でいたいです。

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