熱中

昨日の夜、久々に絵を描いていて高揚感を感じた、ザ・ハイロウズを聞いている時のようなあの無敵な感じがした

ブルーハーツや、ハイロウズを聞いていると
全てを肯定してくれているというか、それでも良いじゃ無いか!と言ってくれているような気がする、脈打って心が盛り上がってくる、まさにロックンロールだ!!

歌声や歌詞やメロディーがストレートなだけに単純な僕には良く刺さる

絵画はどうか?というと考えてもみれば声もなく、ただ沈黙してそこにある、描いている僕でさえ絵の前にただ座って描いているだけのように見えるだろう、けれどロックンロールを聞いた時と同じようなものを僕は感じてる

不思議でしょ?ギターをかき鳴らしたり叫んだりしているわけでは無いけれど、ロックンロールをやったり聞いたりしてたどり着くところと、絵を描いたり見たりしていてたどり着くところが同じというのは、全く同じでは無いんだろうけれど少なくとも似ている

人によっても様々だろうね、例えばそれをデスクワークで感じる人もいるだろうし、子育てで感じる人もいる、他にもいろんなパターンがあって本当に人それぞれなんだろうけど、これらには共通点があって、それはやはり、好き!という感情があること、その好きに熱中している状態なんだと思う

そういえば、いつだろうか?去年かな?映画館で「人間失格、太宰治と3人の女たち」という映画を拝見した、太宰治といえば誰もが一回は聞いた事があるだろう?とは思うけれどまさしく文豪であり、芸術家気質というか、もちろんお会いしたことはないが本を読んでいるとなんというか、つかみどころのない、とても厄介な、独特な人間だったのだろうと想像がつく

その映画の中で、太宰治が後半に「人間失格」という小説に取り掛かり始めるシーンがある

僕はあまりこの小説は得意ではないが、太宰治の殆どが詰め込まれているような、集大成のようなものを確かに感じる、そんな本の執筆を開始するシーン、荒れた生活環境や精神状態の中自分の家の書斎で書き始めた時のシーンがやけに納得できる、周りの一切のものが隔絶されて行き机と自分と原稿用紙とペンだけがそこにあるような、まさに熱中している、並大抵の集中力ではない、あくまでもこれは映画としての演出だったし、実際どうだったか?はわからないがこれくらいでないとやれない仕事だった、というのはよくわかる。

ぼくは集中力が散漫な人間であるからここまでの事はなかなか無いが、世界中の人たちは、少なからず熱中してしまう事が日常の中にも散りばめられてあると思う、ぼくはそれを特に絵を描いている時に強く感じるというわけである

熱中する時間が長ければ良いというわけでもなく、ちょっとした熱中がたくさんある人もいれば一つのことに熱中し続ける人もいる、いろんなタイプがあり、それに良い悪いもないと思う

三日坊主でもなんでも熱中できる時間が持てるのが人間の強みでもあり、兎に角やらなければわからないという事だと思います😈


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