私の芸術運動188芸術の在り方みたいなもの
最近思う事があるんですが、街を散歩しながら買い物していると、本当に日本は平和なんだろうか?と思う事があります。
デパートを歩いているとみんなオシャレして何かを買ったり見たりして、スイーツを食べて、楽しそうにおしゃべりをしています。
そんな光景いくらでも目にできますから普通の事と思っていたけど、もしかしたらこれは普通じゃ無いんじゃ無いか?と思うのですが、いかがでしょうか?そういう生活を送れている人達が富裕層とは言いませんけれどもそれが当たり前では無いんじゃ無いでしょうか?
みんな口を揃えて生活は苦しいです!もっとお金があればなーと言いますが、私はなんか強烈な違和感を日常に感じます。なんか狂ってるような気がするんです。
なんかあっという間に崩れていく張りぼての様な世界に感じます。
さっきも荷物を道路にぶちまけてしまったお爺ちゃんを見かけて駆け寄り拾って渡そうとしたのですがここに入れる様にジェスチャーで指示されお爺ちゃんの持つ箱に入れるとその人は何も言わずにスッと立ち去ってゆきました。本当に何もなかった様な感じがしました。笑
この前は自分の住むアパートですれ違った人にこんにちわと会釈すると「え?なに?私たち知り合いでしたか?」と問い詰められました、私は知り合いではありません、すみませんでしたと謝り相手は納得した様に立ち去ってゆきました。笑
これは本当に個人的な身の回りの小さな例ですが、こんな雰囲気がじわじわと広がって気づいた頃には全てがダメになっているんじゃ無いか?という気がするのです。
別になんとも無い様なことに思えますが、なんか心の中の不安は拭えぬまま、静かに狂っていくのかもしれません。
そんな私も狂っているのかもしれません。
しかしとても人間味のある好きな人達もたくさん居ますが、それは結局自分達のコミニュティ内での話に過ぎないのかもしれない、私は良く思う事があります、みんなシャイ過ぎないか?と。テンション高く騒いだり笑ったりできることが社交的なことではありませんよね?普通に日常の中で人とコミュニケーションを取れる事が大切ですが最近はそういうコミニュケーションの場が少しずつ奪われている気もします。
自分が通りたいから無言で肩でグイグイ押す人や、女性や子供相手ならわざとぶつかる人もよく見ますし聞きます、機嫌が悪かったなどのしょーもない理由や言い訳は人それぞれあるのでしょうが、そんな世界が進行していく中で、芸術はどんな役割を発揮する事ができるのでしょうか?
そんな社会に迎合し、認められ、お金になる事が目標なんてあり得ないでしょう。
より良い生活のために絵を描くのではなくて、より良い世界のために描くのです。
より良い世界というと今が悪いみたいに聞こえてしまいますが、なにかを失ったり、忘れてしまっている様な気はします、なんか味気なく感じてしまいます、あまりにも利益や物質に重きを置き過ぎている様な感じがするんです。
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