ウソツキとショウジキモノのバウンダリ

就職活動の際、新卒では、必ずと言っていいほど“自己分析”なる不思議な作業をさせられる。その通過儀礼とも言える作業を終え、やっと就職活動が始まる。少なくとも俺の記憶の中では。また、俺が記憶してる限りでは、俺の結果は必ず“経営者に向いている”という趣旨のものであり、これから就職し、だれかの下につくことになる人間にとっては、その結果は“不適合者である”という烙印のほかならないのである。

わけあって、最近、再び自分がどういう人間であるか、どうありたいかを考えさせられる機会が多い。本心では「“俺が”やらねばならない仕事であると思えるものならなんでもするし、それに対してベストパフォーマンスで返す自信がある」と答えるところだが、「みんなとの調和を考え、チームが納得できる結果に向かって解決していく」というおよそ就活生のテンプレみたいな回答を行うことが多い。我ながら振り返って思うのだが、青臭すぎる。だが、世間のオトナはそういうトンガリ(NOT CV 三ツ矢雄二)のない人間を重宝し、逆に意識高い系な匂いのする人間を敬遠するというのも知っている。要は、無難な回答をしているだけである。

俺自身が自分をあまりしらない人にどういう人間かを表現するときには、「細かいことを気にせず、わりかし大らかで、他人のことに気にしない人間である」と伝えている。

しかしながら、今日、初対面の人と話す機会があり、そこであれやこれや日常的な会話をしていたのだが、やれ「料理はまとめてやった方が効率的である」とか、やれ「若いうちに“アソビ”を覚えていないと、オトナになったら“アソビ方”がわからなくなる」などという歳の割にはジジ臭い内容で会話をしていた。さすがに喋りながら、我ながら細かい人間だなぁとも感じていた。それをきっかけに過去を振り返ると、連れて行かれた飲み屋で、お店の人がグラスにお酒を注ぐタイミングが遅いとか、グラスをこまめに拭きすぎだとかそんなことを気にしながらお喋りしていることを思い出す始末である。先ほどの自己分析結果とは、大いに差異がある結果だ。なんということか、無意識に大嘘つきになってるじゃないか。

どんな人も自覚しているだろうが、自分という存在を他人に伝えるときには、自分が思っているよりも2割ほど良く人に伝えてしまうもんである。誇張しちゃうのは、人間の性であり、“他人からよく思われたい”という人間味あふれる行為だ。だが、“自分を大きく見せている”という点では、嘘つきである。では、なぜ嘘つきになってしまうのか。それは、本当の自分が怖いからだと考えている。

そのとき初めて会った、知らない人間は、当然のことながら“自分のことを何一つ知らない”。過去にした過ち(「頑張れ」を「ばんがれ」と言っていたことや、恋愛相談をされ続けた相手に「そんな相手じゃなく、俺と付き合えよ」みたいな恥ずかしいことを言ったこと)など、一切知らない人である。その人からすれば、今日生まれた存在でしかないため、過去など関係ない。だがしかし、そういった人と接するとき、少なからず“自分は〜〜な人間だから、〜〜〜しなければならない/〜〜〜なところを気をつけなければならない”と自分自身でレッテルを貼ってしまうことがある。そういうレッテル貼り、非常にもったいないと思う。

俺自身、この行為を「仮面をかぶる/役をつける」と表現している(社会学的には“ペルソナをかぶる”ってだけ)のだが、初対面の人間と接するとき、俺は「どうせ自分のことを何一つ知らないんだから、なりたい自分を演じちゃえばいいじゃん」と開き直って、接することにしている。その人にとっては、自分という存在はその瞬間生まれた存在であるため、なんの恥ずかしい過去や短所をインプットされていない。だから、俺はなりたい自分をその時々に演じている。(ちなみに、仲良くなりたいなと思うときは柳沢慎吾さん、賢く思われたいなと思うときは菊地成孔さん、面白く思われたいなと思うときは伊集院光さんを演じている)

「最初に自分ではない存在を演じてしまったら、ずっとそれを演じ続けなければいけないのではないか」と思われる諸氏がいるだろうが、“ホントウの自分”だなんて、あとから小出しにすればいいのだ。というか、絶対勝手に小出しになる。だって、自分以外を演じてるわけなんだから、自分に戻る瞬間に、伝わってしまうから。

なので俺が答えている似非優等生タイプの回答は、経験的に「本心をそのまま伝えると、使い難いやつだなって思われてしまうんだろう」という新卒的な思考が根底にあるのだが、それは自分が積み重ねてきた経験値やスキルを無碍にしている思考であり、逆に自分のことを過小に表現しているに過ぎなければ、嘘つきなだけでしかない。俺が現在求められている回答には、建前を省いた話をしてあげた方が面白がってくれるんだろうなと感じている。本当の自分は細かく人の面倒を見て、文句やグッドバッドを伝えながら導き、細かいことにたいしてうじうじ文句つけて、厚化粧好きなだけである。(あと、“27歳女性”という存在が小学生から好き)そういったことを伝えても、問題ないだろうし、むしろ面白みがあるだろ、「リーダー体質です」的なことを伝えるよりも。

嘘つきな人も正直すぎる人もこの世の中はとっても生きづらい。なので、均整っていうのは最重要ではあるが、人間、バランス崩したほうが他人と比べて、自分を認識されやすいものだからな。悪目立ちでも、目立ったもんがちなのが世の中だって思う5月9日、日付変わって10日の深夜である。

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