日記│映画『窓際のトットちゃん』を観た/なんでも話してごらん

(ネタバレ: 前半部分は有り)

12/29 に映画『窓際のトットちゃん』を観た。うろ覚えだが、以下のようなシーンがあった。

校長「さあ、なんでも話してごらん」
トット「なんたらかんたら」
(とても長い時間の経過)
トット、話し終わる
校長「ほかにはないのかい?」
トット「…みんなが私を困った子だと言うの」

映画『窓際のトットちゃん』台詞。うろ覚え。

トットは周囲を気に留めない「天然キャラ」として描かれている。校長に向けても、とりとめなく、はてしなく話が続く。あらかた話し終えると、心を占める想いが落ち着き、静かな寂しさに包まれる。続きを促され、悩み吐露するトットはよそよそしい。さきほどまでの勢いがない。どこか他人事でもある。

はてしなく話した先に予想外の本心が現れる。この本心は自分の手に余る。誰かに受け止めてもらう必要がある。本心はつらい体験を伴っていて、ふだんは意識的に忘れている。忘れていることすら忘れている。

トットが幼少期にこのような体験ができたのは、幸運なことだと思う。子どもは「わたしにも外傷的な体験があるかもしれないから、自由に連想しながら話をさせて」とは頼めない。周囲の大人がそっと寄り添うしかない。

大人は頼むことができる。パートナー、友達、同僚。頼んで聞いてもらうことができる。あるいは精神分析的心理療法に出会うこともできる(私は 佐々木正悟さんの Podcast で精神分析的心理療法の面白さを知った)。

『窓際のトットちゃん』はどうにも「君は、ほんとうは良い子なんだよ」が名台詞として扱われているようだ。私は「なんでも話してごらん」を推したい。

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