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【表現研】GOTから見る”飽き”とは

ゴーストオブ対馬をここではGOTと書く。長いんだもん。

GOTはとても面白いゲームだった。
↓表現研所長のレビュー

私も3日ほど起きてる間はずっとやっているという状態だったが、4日目にふとあることに気づいた。
「あれ、このゲーム”移動”と”斬り合い”しか要素なくね…?」
時代劇という本質をある程度感じながらも、「ゲーム」としてプレイしていた私はそれ以降このゲームへの没入感、ウキウキした心を忘れてしまった。

この現象を他のゲームでも感じていた私は、これを機にしかと考えてみたのである。
飽きとは何か。どのようにして起こるのか。今回は拙文ではあるが私の考えの一端をここに記そうと思う。

飽き。新鮮感の欠如。先が読める状態。これを感じたことのないゲーマーはいないのではないだろうか。これは上述の通り
1ある程度その物事に触れ2要素の分解が完了し3次に起こる現象に驚きや刺激を感じなくなる、刺激になれると起こる
のではないかと考えた。ポイントは3である。ゲームの中には2が容易に完了し得ても飽きることがないゲームはごまんとあるからだ。某モンスターハンティングゲームを例に取ってみよう。あのゲームの要素は狩猟と準備と成長で成り立っているとすぐに気づくことができるが、成長と狩猟が互いにプレイヤーへの刺激を増長させあっているため飽きがすぐにはこない。増長させあっているという刺激をプレイ中に気づくまではだが。オンラインFPSも一つ二つの要素で構成されているが、下手なゲームよりかは飽きるまでのプレイ時間はとても長い。相手への競争心と的に当たる快感は恐ろしいものである。
この飽きるという現象はなんて事のない、自然な現象と考える。というのも、我々が日々「明日の天気を教えてください」という言葉を、わざわざ日本語初学者のように「明日は副詞で、主語は天気…」などと考えず「明日の天気を教えてください」という文字の形、音で自然と脳が言葉の意味を瞬時に頭の中でイメージ化するのと仕組みは同じであるのだ。つまり、ゲームに触れているうちに脳味噌は無意識にゲームの刺激を構成要素までに分解、自動処理し来たる次の刺激を頭の中でイメージ化するというモデルが打ち立てられる。


飽き=脳内自動処理 


という式だ。

ここまで続けていると、実生活の行為、果ては生きるということ自体に飽きが来るのではと懸念する人もいるのではないか。
生きるのに飽きた。それは日々の生活による刺激を脳が自動的に予測してしまうからなのだ。

生きるのに飽きたという人は、スカイダイビングしてみたり、あえて一日中断食してみたり、何か新たな刺激を受容されてみてはいかがか。


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