人生と冤罪と下剋上#006

閲覧頂きありがとうございます😊
少し多忙で間隔が開いてしまいました、、、
最近、コメントを頂く機会も増えてきて
それがものすごく励みになっています(^^)
稚拙な文章ですが今後ともお付き合い頂ければ幸いです😌

さて、今回はやや番外編というか、拘置所との戦いをテーマに書いていきます。
留置場にいても拘置所にいても判決が確定するまでは【推定無罪】の建て前のもと、社会一般の人が享受できる基本的人権は失われない、ということが法律で定められています。
とはいえ、施設の中に遵守事項なるものが定められていて、たとえば口笛を吹いたり鼻歌を唄っていただけで注意されるし、遵守事項違反として取り調べの対象になり、施設内の裁判【懲罰審査委員会】が開かれて、懲罰を科されることも全然あります。懲罰にはいくつか種類がありますが、一番受けることが多いのは【閉居罰】といって、私物を全て取り上げられ、面会禁止、ラジオも禁止、一日8時間ほど壁に向かって座っているだけ、という何とも前近代的な拷問が今も当たり前にあります。
拘置所では横になることが出来ず、日中はずっと座って過ごしていなければならない、という謎ルールがあります。壁にもたれるのもだめです。私は細身なのでずっと座っていると坐骨神経が圧迫され、勾留期間が長くなるにつれて手足のしびれや鋭い腰の痛みと付き合わなければいけなくなりました。拘置所には医務部(施設内の病院)もありますが、だいたい診察が実施されるのは4ヶ月〜半年後ぐらいです。それだけの人数が待っているからそれだけの時間がかかるからではなく、4ヶ月〜半年もすればほとんどは社会に戻るか、刑務所に行くから、医師の負担、そして薬代を抑えるために拘置所はそのような運用をとっています。(そりゃ死人も出るよね)
私としては、刑事収容施設法で明確に社会一般と同程度の医療措置を講ずるものとする、と明文化されているのだから、法令違反をしているのは施設側。仮に、のっぴきならない事情があって治療が出来ない状況にあるのであれば、せめて横になることは認めるべきだ。という主張を展開してみましたが、結果としては【指示違反】という形で懲罰になりました。それも2回。この時の悔しさは一生忘れないし、心底死にたくなりました。
弁護士はアテにならない、かといって施設という巨大組織を打ち負かすほどの実力も自分にはない。色々調べて監獄人権センターなどにも相談しましたが「無理しないでね」みたいな回答が来るだけ。唯一まともな対応をしてくれたのが弁護士会の人権委員会でした。
1年ぐらい段階を分けていって、徐々に施設側を追い詰めていき、結果的には人権委員会から拘置所長に対して勧告という形で横になることを認めないのは人権侵害に他ならない、として通達が出ました。これは当時報道もされてやや話題になったそうです。
しかし、拘置所の対応は変わることはなく、
あくまでも施設のルールは絶対、という人権度外視のストロングスタイルを貫いていました。ただ、私のこういう姿勢を見ていた一部の看守が「どんどん声を上げていかなければ変わらない。お前の言うことは正しい。何回懲罰を打たれても自分を貫け」と言ってくれていて、それがすごく励みになりました。

でも、私みたいな反乱因子は嫌われるのが世の常なので、ご多分に漏れずいじめられていました。中にはもっとひどいいじめというか虐待をされてる方もいたし、看守達は暇なので収容者いびりを心底楽しんでいる様子。いつもいつもなんてかわいそうな人達なんだろう、と思っていたなあ。
この時期は裁判の見通しは立たない、看守によるいじめ、懲罰、不眠、拒食、過食、色んなことが重なって毎日死ぬことばっかり考えていました。

そんな私を支えてくれたのは母や友人達です。インスタグラムを初めてから、昔仲良かった人や職場の先輩後輩から相次いで連絡を頂いて、それがすごく嬉しくて、毎日毎日手紙が配られる時間が楽しみでした。

次回はそんな母や友人達の話も少し。

ちなみに、施設側との争いは3年後にリベンジして見事勝利することになります。そのお話はまたいつか😌

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