Hirokazu Oda (Dan)
社会に「解釈者」を増やすワークショップ
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社会に「解釈者」を増やすワークショップ

Hirokazu Oda (Dan)

本記事は、ワークショップデザイン Advent Calendar 2018 の23日目です。エイマエダさん、お誘いいただきありがとうございました!
(いつも通りに?ギリギリになってしまいました。すみません。)

23日目にもなって聞くのもどうかと思いますが、ワークショップと聞いて皆さんは何をイメージされるでしょうか?
単にアイデア出しの場所でしょうか?それとも何かをお題に対話が行われるための場所でしょうか?

初日に、エイマエダさんが書かれていた記事がありました。

ワークショップは教える場でも教わる場でもない。ワークショップは共創・協創の場であり、それは人と人が創るものだと考えています。
またワークショップに決まった形はなく、あるのは可能性をもった場であるということ。その可能性は参加者を繋ぎ、参加者の思考を広げて、様々な可能性をも作り出していきます。

ワークショップは、非日常的な場であり、工房的な思考が行われる場でもあります。その中で、生み出される可能性とは一体なんなのでしょうか?そもそもワークショップは、ひとつの手法ではありますが、そうした手法が目指す先の最も大きなビジョンとはなんなのでしょうか?

ミミクリデザインという会社で働いていることもあり、普段からワークショップの事ばかりを考えるようになりました。
元々はデザインを学んできたのですが、ワークショップが生み出すアウトプットは何か、その先に存在するアウトカムとは何か、それを改めて意識するべきだと強く考えていました。

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先日、2019年秋に開業予定の渋谷スクランブルスクエアの中に生まれる施設、渋谷QWSのシンポジウムイベントが開催され、編集者・ライターの若林恵さん、READYFOR の米良 はるかさん、ロフトワークの林 千晶さん、そして弊社代表安斎がモデレーターを務めたトークセッションが開催されました。
(レポートをグラレコ的に残してくれている方がいらっしゃいました!)

QWSの詳細はこちらからぜひ


その中で、林千晶さんが話されていたあることがきっかけで、僕の中でワークショップの意味性が非常に整理されたので、今回はそれを紹介したいと思います。


消費者=消費する役割をになった者

とんでもなく濃いセッションだったのですが(若林さんがさすがでした…)
話題が「何が人間を苦しくさせるのか」という話に。

林千晶さんは、消費者という言葉が人間を苦しくさせていることを指摘しました。

明日はクリスマスイブ、世の中のサンタさんは大忙しなわけですが、皆さんもやっぱり買いたいものはありますよね。
何かを買いたいとき、当然お金が必要になるわけですが、お金が足りなくて買いたいものが買えないと、なかなか苦しい気分になったりするときもあります。

林千晶さんは、消費者は消費する役割を担わされた者である、という捉え方を示し、人は消費するという役割が担えないから苦しくなってしまうのだと解きました。


「消費」がなくても豊かな暮らし

その後林さんは、クリエイティブは、正しくなくても良いもので、自分が楽しいということを創れる人を増やすことが大切だと説明し、全員がクリエイターになった社会は幸せなはずだというように話を展開しました。

確かに消費するという役割をまだ人が担っていなかった時代、つまり自給自足が成立していた時代には、毎日の衣食住が満たされていれば、おおよそ満足感を感じていたはずです。その時代に求められたのは、自ら野菜や米、暮らしに必要な道具を作ることでした。

現代においても、自ら何かを作りだし、そうした暮らしを実現させている人々は幸せそうな人が多いように感じます。

モバイルハウスのプロジェクトをやっている sampoの塩浦くんなんかまさにそんなイメージ

皆がクリエイターになったとしたら、、、間違いなく楽しいビジョンが広がっていると思います。

でも、だからと言って、何かを買ったりすること自体を人はやめるのでしょうか?


消費者から解釈者へ

僕の頭の中でたどり着いたのは、解釈が生まれているかどうかが大事なのではないかということでした。

例えば、野菜を買ったとき、単に誰が作ったのかわからない野菜を買うのと、生産者が野菜にかけた手間や、生産されるにあたって背景にあったストーリーが伝わってきた場合とでは、野菜そのものの質や値段は変わらずとも、買った側の人にとっての価値は大きく変わるのではないでしょうか?

それは、買った人がその手間やストーリーから、野菜に対して何かしらの意味を解釈しているからです。味も結局は解釈によって認識されると言っても良いわけで、大きく変わってくるかもしれません。

こんな風に解釈によって、人の感じ方は大きく変わります。だからスーパーでは生産者の顔が見えるようになっている訳です。

しかしこの状況にはもうひとつのヒントがあります。それは解釈を生んでいる側の解釈の力についてです。

例えば松岡修造さん。小田家のトイレのカレンダーは修造カレンダーですが、まあすごいです。僕はこの動画が大好きです。笑

なぜ氷点下の水中でしじみを取っているのか全然意味わからないですが、彼は本気です。先日も紀平選手へのインタビュー時の映像が海外で話題になっていたようです。

トイレのカレンダーしかり、動画しかり、彼は本当にいつも本気で、そして楽しそうです。多分それは、ひとつのことから(彼なりに)色々な解釈を生み出しているからだと思います。

つまり、人は解釈次第で幸せになれる訳です。大したものを買わなくても、解釈次第ではとっても大事なものになります。

つまり幸せになるためには、解釈を生み出せるようになれば良いのです。みんながクリエイターになる社会。それはみんなが解釈者になった世の中であると考えることもできると思います。

消費という行為自体は存在していても、人間が役割が解釈するという役割を担っているとすれば、その役割さえ担えれば人は幸せになれるはずです。そこに沢山のお金は必要ないかもしれません。ある種の「解釈経済指標」みたいなものがあっても面白いかもしれません。


ワークショップ=
工房的な思考を持つ、解釈者を増やすための場

書いてたら23日終わってしまいました。まあでも僕の中では寝るまでがまだ23日なので大丈夫です(解釈)

最初の問いに戻りますが、ワークショップはなんのためにあるのか、僕の中でのかなり大きなニュアンスとしての定義を置くとすれば、世の中に解釈する役割を担える人を増やしていくための場だと考えます。

解釈というのは創造的行為であり、より良い解釈は工房的な思考によって頭の中で生み出されるものだと思います。

そのためにワークショップはどう設計されていくべきなのでしょうか?

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ミミクリデザインでは、商品開発の案件をやったり、バンタンさんなどの授業を担当させていただいたりしています。
当然商品アイデアしかり、学生のアイデアのアウトプットしかり、評価されるものを創り出すためにWSを設計します。

でも、その先に僕たちが常に考えているのは、そこに参画してくれたメンバーの方ひとりひとりのマインドやスタンスといった、ある種の土壌を豊かにすることに貢献できたかということです。

ワークショップというひとつの手法を通して、世の中に解釈を生み出す役割を担える人を増やし、もっと楽しい社会に変えていく

ぜひ皆さんにもそうした意識が広がっていただけたら、本当に実現できるんじゃないかと考えています。

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というわけですが、博士論文でヒーヒー言いながらな状況ではありますが、書かせていただきました。稚拙な文章で申し訳ありません。

個人としてもクールシニア推進機構さんなどで、そうした活動をさせていただいております。
https://cool-seniors.org/

ありがたいことに、一息つく間も無く(ついてますが)いろんなところで活動させていただいております。

あまりこれまではアピールしてこなかったのですが、ぜひこうした活動を応援していただける方がいましたら、マックのコーヒー代でも支援いただけると、思考がブーストいたします。(というか応援していただいてるという気持ちでより頑張れます!クリスマスプレゼントください!笑)

ということで、皆様良いクリスマスをお迎えくださいね!

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Hirokazu Oda (Dan)

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Hirokazu Oda (Dan)
株式会社MIMIGURI デザインストラテジスト/リサーチャー|千葉工業大学大学院博士後期課程修了 博士(工学)デザイン教育, 意味のイノベーションなどの方法論が専門 |著書はこちら http://amzn.to/3dVH5E4