はじまりの絵本(書評)

「はじまりの絵本」〜100人の子どもと大切な絵本展〜

 京都の祇園にある禅寺 禅居庵(ぜんきょあん)にて毎年開催されている展覧会で、「子供の頃に心に残っている絵本」「いま大切な人にとどけたい絵本」というテーマで選書をしました。この文章は2017年当時のものです。こんなコメントを寄せていたことをすっかり忘れていた。ちなみに文中の「ある作家」とは「石牟礼道子」さんのこと。

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いま大切な人に届けたい絵本「すべてのひとに石がひつよう」
作:バード・ベイラー 絵:ピーター・パーナル

ある作家が、石は年月の塊だと言っていた。なるほど、確かにその通りで、それは自分たちの体よりずっと小さいが(あるいはずっと大きいが)、遥かに長い年月を「生きて」いる。道端にはそんな彼らがごろごろと無数に小さな息を立てている。
小さな頃は、例えばそれが有機物/無機物である、というような区別を設けず、何かしらの自分の基準でもって、目に映るものをいのちある存在として等価に扱っていた。花や虫に声をかけ、ぬいぐるみと会話をし、ふいに訪れる風の中に意味を嗅ぎとった。
この本は、友達になる石を見つけるために必要なルールを教えてくれる。物言わぬものとのコミュニケーションは、日常の生活の中でコントロールしていた五感をひとつずつ解放していく作業なのかもしれない。しかしそれは自分の感性を軸にした世界との向き合い方だ。
絵本を閉じて、友達の石が「生きて」いるという感性のスイッチが発動した時、見慣れたはずの風景は揺さぶられ、もっと生き生きとしたものとして立ち上がるのではないかと思う。


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子供の頃に心に残っている絵本「はろるどのふしぎなぼうけん」
作:クロケット・ジョンソン 訳:岸田衿子

今ここから、ここではないどこかへと、自身の引いた一本の線の向こう側へさらりと飛び越えてみせる魔法に、この絵本を読んでからずっと憧れていた。
はろるどはむらさきのクレヨンで描いた絵の中とこちら側を自由に行き来する。絵の中にも世界が存在するかもしれないという発想は、当時の心の奥行きをとても広げてくれるものだった。まるで水たまりの底に深く広がる空を見つけた時のような遥かな心地を、よく憶えている。
現代にはグーグルマップがあるけれど、そこには映らない世界の果てしなさがあるのかもしれないと想像すると、今でもすっと胸がすくような心持ちになる。

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(2017年はじまりの絵本) 「はじまりの絵本」〜100人の子どもと大切な絵本展〜 京都の祇園にある禅寺 禅居庵(ぜんきょあん)にて毎年開催されている展覧会です。 http://zenkyoan.jp/hajimarinoehon/event.html

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