私たちは正解を出そうとするから負の感情が生まれる。

おはようございます。
今朝、人はなぜ人に怒るのだろうかとふと考えました。(電車でコワモテのひとがおばあちゃんを睨みつけてたので、なんか嫌やなって思ってそれからここに至ったと思います…)

人は自由なものです、人は人に怒り、悲しみ、哀しみ、負は蓄積されていくばかりです。
その中で人に寛容になれる人はやはり人生を幸せに生きていけると感じます。

私の父親は結構な頻度で祖母に怒り、私は認知症のおばあちゃんにそう怒っても自分(父親)にとって損しかないんじゃね?って思いながらなだめたり母親と相談したりをしています。
父親も余裕を持ち、それも一つの正解だと思えれば負の感情は生まれることはないのかなと思います。

私の友人も人はああだと決めつける癖があります。
ただそれも、その人に対しての背景を全く考えていない言動だというふうに感じます。

ただ、これは学校教育から固有の答えを出すことを癖づけてきたからこその弊害なのだとも思います。
昔、1+1=たんぼの田とかいって、ふざけたこともありました。これはすごい柔軟性ではないでしょうか。
これも正解ではあると思います、「けれどこんなんもわからないのか」、「こんなこともできないのか」と一つの答えを追う癖だけがついたからこそ、人に対しても一つの答えを追うようになってるのではないかとふと思いました。
人に対して1+1が田んぼの田でも2でも色々あったら面白いじゃないですか!

そういった寛容な社会がこれからもっと広がっていけばいいなって思いました。

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