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常識をぶっ飛ばした、あの日から今

#一歩踏みだした先に

こんにちは、ヒロと申します。
僕は東京、板橋でラップなど主にhiphopというジャンルで音楽活動をしています。
僕のブログでは #今日も誰かを褒める をテーマに書いています。

一昨日のブログから、開催中のテーマについてブログを書くことにハマってます笑

なんか学生時代に戻って、小論文や作文を書いてるみたいですごく楽しいです。
やっぱり執筆活動みたいなものは続けるべっきですね。
常に社会の出来事や身近な出来事にアンテナが出来ますし、それをアウトプットする力も付きます。

さあ、本題に入ります。

"常識をぶっとばした"とか
大層なタイトルですが単純に自分の人生観を変えたっていう話です。
少しお付き合い下さい。

みんな常識と言うものをどう捉えているでしょうか。

僕は昔から母親や恩師のおかげで礼儀を叩き込まれています。
そのため、場面場面でどういう所作、発言をしたら良いかなど教わりました。
僕にとってそれが常識との強い繋がりだと思っています。

常識とは社会やその業界において共通認識された知識や所作などを指します。
つまり、みんながそうすること、そう考えることが当たり前、そうであるべきと考えられているものは常識になります。
似ている言葉で言うと、マナー、エチケット、定石などがあるんじゃないでしょうか。

なぜそうするべきかと言うと、
常識に従った方がうまくいくし、効率が良いからだと思います。
例えば、目上の人には自分から挨拶をしに行く、学生は一生懸命勉強することが偉い、学校を卒業したら一定の収入を得るために就職すべきなどがあります。
今、それぞれ異なる種類の常識を挙げてみました。

これらはみんながやってる、もしくはそうした方が人生上手くいくと思われていることだと思います。
僕の勉強不足でいつ出来た常識かわかりませんが、これらは長年日本では考えられている事象です。

前置きが長くなりましたが、
僕はこれらの常識を全部ぶっぱなすことにしたんです笑

「そうだな。お前は非常識だよ。」
「変わってる。変なヤツだよ。」
「悪い子じゃないんだから、ちゃんとしなさい。」
どこからかそんな声が聞こえてくるかもしれません笑

でも、僕にとっては常識をぶっぱなすというこの第一歩がすごい重要でした。
そうやって僕が一歩踏み出した先に明るい未来があったと断言出来ます。

なぜ常識を学んできた僕が
常識をぶっぱなしたのか。
言い換えると、常識を無視し始めたかについて話してきます。

簡潔に結論から言うと、
常識なんて別に正しくもないし、時には時間を無駄にする”
からです。

すごい過激なことを言いました。
すみません、悪意がある訳ではありません笑

常識がなぜ正しくないかと言うと、
常識は常に変動するものだからです。
時代の流れと共に環境や人は変化します。
そうすると何年かに一回、早ければもっと早い段階で常識は変わります。
なぜなら、いつまでも同じことをしていても上手くいかないのが現代だからです。

礼儀など変わらない常識もありますが、
場面に合わせて柔軟な変化をしている慣習もたくさんありますし、その方が上手く行きます。

ここでその理由を少しお話をします。
例えば、武士の時代、日本では階級がありました。上の階級の人は絶対的に偉く、下の階級の人は礼儀を欠かしてはいけません。もし粗相があれば、その場で切られるなんてこともありました。

現代ではどうでしょうか。
社会的に圧力をかけられたり、制裁を受けることはあると思いますが、流石に切られることはありません笑
基本的に礼儀正しくした方が印象が良いですが、場面次第ではフランクに接した方がうまくいくこともあります。
たとえ相手が目上だとしてもです。

礼儀以外で慣習について、お話します。
学生は一生懸命勉強すべき、社会人は就職してお金を稼ぐべき。
これらもなぜかと言うと、昔は一生懸命勉強して高学歴を得れば、給料の良い会社に入れた。
社会に出れば会社に入る以外に一定の所得や待遇を受けることが出来なかった。
そんな背景があります。

現代ではどうでしょうか。
小学生や中学生のYOUTUBERがバリバリ稼いでます笑
同じく小学生から大学生くらいの年の人で起業して稼いでいる人はたくさんいます。
高卒でも中卒でも。

あれ?常識はどこにいった。
従えば上手くいくはずだったのに。

従わなくても上手くいく人達がたくさん出てきてしまったんですね。
もちろん、彼らは運が良かった、元々お金持ちで資本があった、環境が良かったなど言い訳を考えればキリはありません。

でも、果たしてそうでしょうか。
もちろん当てはまる人もいます。
ただし、全員に言えることは彼らは常識なんかには囚われずに自分を信じて行動し続けたということです。

僕は高校生くらいからビジネス系の本を読み始めました。
勉強が嫌いな僕が唯一出来たのがビジネスの勉強です。

そこで色々な著者が言っていたのが、
"常識にとらわれるな。"
ということでした。

とは言え、最初はポジショントークだと思っていました。
そう言っていれば本が売れると。
もっと言えば結果論であって、全員が常識を無視しても良いわけじゃないと。

違うんです。
要は、やりたいことがあるなら、とりあえずやってみろってことだったんです。
そして、さっきも言ったように常識がいつも正しいとは限らない。
合理的じゃない、効率的じゃないなら無視しろっていうことだったんです。

それに気づいてから僕は
常識をぶっ飛ばす
その一歩を踏み出すようにしました。

それから僕の人生が変わりました。
今まではやりたいことがあっても、
常識に合わなければ諦めました。
勉強すること、社会に従うことが善だと自分に言い聞かせてたんです。
学歴もお金も地位もない僕は、
社会から外れた人間だと思っていました。
礼儀の面で言えば、目上の人の言うことは絶対、挨拶は何があっても必ずしなきゃいけない、その考えを崩しませんでした。

何が言いたいかと言うと、常識に囚われてこうしなきゃいけないと思うことだらけだったんです。

今は違います。
"やってみてダメだったら、やめればいい。
良かったら、続ければいい。"
そう人生において、試行錯誤があっても良い。
何なら試行錯誤なく、頑固に突き通していれば、変化には柔軟に対応が出来ません。

それ以来、僕はやりたいことはとりあえずやってみることにしました。
自分が根拠を持って良いと思えることはとりあえず試す。
それが他の人がやっていなくても、
反対されようとも。

その結果何が良かったかと言うと、
まず気が楽になりました。
そして、常識に囚われていないので、
物事を偏見なく事実で見る事ができるようになりました。
要するに視野が広くなったんです。

人間、聖徳太子のように一変に複数のことを同時進行は出来ません。
神様のように全知全能な人だっていません。
人には得意、不得意もあるし、
やりたいこと、やりたくないこともあります。

少なくとも誰しも挑戦する権利は平等にあるはずです。
それをやれるかどうかは自分次第なんです。
挑戦するには責任は伴います。
全て自分に乗っかるんです。
でも、リスクを取らずにリターンを求める事なんて出来ません。

僕は常識を気にしなくなってから、
人に嫌われたっていい
失敗したっていい
社会に適合出来なくたっていい
そう思って生きてます。

誰かが決めたものに従っても、
その誰かが僕の尻拭いをしてくれる訳じゃありません。
もちろん若いうちは親など周りが助けてくれるかもしれません。
正直僕もまだまだ助けてもらってばっかりです。

でも、リスクを取る以上、自分で自分の尻拭いをするつもりで生きていきます。
これ以上、甘えてはいられませんし、自由にやるなら自分主導でやらなければいけません。

僕は今日一歩を踏み出したばかりかもしれません。
その先が明るい未来なのか、闇の中なのか、そんなことはわかりません。
でも、前に進むためには、まず一歩を踏み出さなければいけません。
ゴールに辿り着けるか、山を登り切れるか、
それは歩き続けたものにしかわからないでしょう。

明日はさらなる一歩を踏み出せるように、
今日も常識に囚われず挑戦し続けます。



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