「二刀流の緩和ケア医」をかかげる理由~個人主義の時代に生きる~


2020年 元旦。
皆さま、新年あけましておめでとうございます。

この記事が私の初noteとなります。
はじめましての方がいらっしゃるかもしれないので、簡単に自己紹介。

自己紹介

私は東京の上野・浅草で緩和ケア医として勤務しています。病院の中では緩和ケア外来・緩和ケアチーム・緩和ケア病棟にて診療しながら、近隣の在宅療養支援診療所から訪問診療(往診)を行うスタイル。
普通、医師は病院の中で働くか、在宅医療に関わるか、そのどちらか片方ということが多いのです。ですが、私は病院で診ていた患者を自宅にも往診する、または自宅に往診していた患者が入院しても診療を続ける、まるで野球で投手と打者の両方を行うような診療スタイルをかかげており、そんな私は「二刀流の緩和ケア医」と名乗っています。

さまざまな記事を書くことや、講演、そして出版する一番最初のきっかけとなったのが、2015年から開始された日経メディカルオンラインでの連載でした(医療関係者の会員制サイトのため、登録しないと読めません)。この連載を開始するにあたり「二刀流の緩和ケア医」を名乗り、現在まで続いています。最近、この日経メディカルオンラインの連載はサボっているのですが、この年始から再開したいと考えています。
また、他にも以下のような書籍を出版したことがあります(後述)。

二刀流が誕生した理由

二刀流の診療を開始したのは、千葉県鴨川市にあります亀田総合病院で緩和ケアの専門研修をしていたときです。同院では病院内で緩和ケアの研修をしながら、同時に在宅医療にも関わる研修ができました。
そもそも、このような二刀流の診療スタイルを行いたかった最大の理由は、私自身のわがままです。私は昔ながらの主治医気質の持ち主で、自分の関わった患者はなにがあっても最期まで自分で関わりたいと考えていました。そして、病院で診療していた医師が自宅にも往診すれば、患者や家族も安心できるのではないかとも考えたのです。患者から安心してもらえ、かつ自分の満足も得られるからwin-winだと。
そして、研修を終えたあとも、東京でずっと今に至るまでこのスタイルで継続してきました。私が往診するなら退院してみようかなと決める患者も少なくなく、また両方を経験することでそれぞれの良さや課題であったり、病院と在宅の連携について多く学ぶことができました。そこで得た気付きを日経メディカルオンラインで連載するまでに至ったのです。

終末期患者における療養の場の原則

病院で診療している医師は「病院の方が良い治療ができて患者も安心して過ごせる」という価値観を持つ方が多いでしょうし、在宅で診療している医師は「住み慣れた自宅の方が人間らしく穏やかに過ごせる」と考えているでしょう。それぞれ自分がフィールドとする場をより良いと考えるのは当然のことだと思います。
しかし、終末期を迎えた患者は違います。時間の経過によって過ごしたい場所は変化していくという原則。以下は「がん診療に携わる医師に対する緩和ケア研修会」でかつて使用されていたスライドを一部抜粋したものですが、一般市民に終末期と言われたときどこで過ごしたいかという調査を行ったところ、できるだけ自宅で過ごしたいが、最期を迎えるのは病院(できれば緩和ケア病棟)が良いと考えている方が増える結果でした。もちろん、最初から一貫して病院を希望する方もいれば、最期まで自宅を希望する方もいます。このように、時期によって希望する療養の場が異なることが示されたのです。

希望する療養の場は変化する

このような患者の希望を最優先に考えるならば、医療者は病院が良い、いや在宅の方が良いなどと張り合っている場合ではなく、両方それぞれが切れ目なく利用できるようにするのがベストではないでしょうか。
でも、実際の医療現場では以下のようなことが繰り広げられています。
病院の医師だから、患者が自宅に帰りたくても「この状況では退院は難しいですよ」と言ってしまう。
在宅の医師だから、患者が不安が強くなって入院を希望しても「入院しても意味がありませんよ」と拒否して在宅療養継続を強行してしまう。
このようなことは本来あってはならないはずです。病院と在宅、両方の診療ができる二刀流だからこそ、患者の希望に沿える可能性が高まると信じています。

平成という個人主義の時代を生きてきた私たち

平成が終わり令和の時代となり、平成を振り返ってみると、私は「個人主義の時代」だったなと感じています。インターネットやスマートフォンがなかった昭和の時代は、会社や学校、そして家族も含め、集団に頼らなければ何もできませんでした。
病気になっても、病院という大集団の中に入って、そこで提示された治療を行うのみ。それが自分にとって最適なのかはわかりません。インターネットを通じて医療情報を手に入れるなんてことはできず、治療が納得いかないときは、病院を移るしかありません。終末期の過ごし方も同様で、病院から提示された過ごし方をするしかない。ましてや個人の意見など、まるで見えない。そんな時代でした。
その後、インターネットやスマートフォンが登場し、情報は手に入りやすくなりました。情報が手に入ると、それをもとに自分で考えたように好きに動くことができるようになりました。SNSやブログなど個人の考えが主張できるようになりました。集団に頼った行動ではなく、個人の動きがでてきたのです。
たとえば誰かが大きな病気に罹患したときも、以前は集団の中でみな同じような治療をして、最期も同じように迎えていたかもしれません。それが、個がそれぞれ動くようになって、人それぞれの過ごし方ができるようになりました。昔の人からみたら、自由で羨ましく感じるかもしれないし、もしかしたらわがままととられるかもしれません。二刀流の原点も個人主義です。自分の望むように最期を迎えたい人にとっては、さまざまな選択肢が安心して選べることは間違いなくメリットになるはずです。
ただ、個人主義の到来は、悪く言うと家族主義の崩壊とも言えます。平成は、家族というある意味集団の論理より、個人の考えが尊重されるようになった時代なのかもしれません。家族だから、家族の病気を心配する、看病する、介護するといった、昔は当たり前だったことが、個人の生き方より優先されなくなる…そんな危惧を最近の医療現場から感じています。
だからこそ、ある意味好き勝手に生きてきた、個人主義の時代を生きてきた人たちが、いよいよ自らの死を迎えようとするとき、最期までどう個人主義を貫けばいいのか…これこそ令和の時代の課題ではないでしょうか。樹木希林さんの「死ぬときくらい好きにさせてよ」というセリフ、皆さんの記憶にも新しいはずです。

終末期医療についての情報をわかりやすく伝える役割

個人主義の時代において、大切なのは情報です。情報がなければどうすればいいか選択すら適切にできません。
そこに私がずっと考えていたことがありました。恐らく多数の人が願っているであろう「苦しまずに最期を迎えたい」「家族を安らかに見送りたい」という願いに対して、医師としてわかりやすく、本当にわかりやすく伝える義務があります。そして、このテーマに関して患者や家族が知りたい情報は不足していると感じたのです。
情報を手に入れやすい時代になっても、結局は大切なことを知らないがために願いが叶わない…なんてことはあってはなりません。知ってもらうことで自分で好きに選択してもらえる…そんな世の中にするため、私は出版することで一人でも多くの人に伝えられるのではないかと考えました。

出版の経緯については、またどこかでお伝えできたらいいのですが、実際の患者さんや家族が、現実的に困るであろうこと、願っているであろうことに焦点をあてて書き上げました。とくに繰り返し強調した「わかりやすく」が欠如した医療本が多いことから、一般の人からも意見をもらいながら「わかりやすく」にこだわって作り上げていきました。

往々にしてこのような終末期医療の書籍は「〇〇のように過ごすのが一番」といった内容、その中でも自宅でなにもせず枯れるように亡くなるのがいいという論調のものが多いのですが、現実的には理想通りにいかないことばかりでしょう。その現実社会の中で、たとえば大切な家族のつらさをどうやって和らげることができるか。
たとえば、はじめにから一部抜粋して

人はつらいとき、誰かがその痛みやつらさを理解して、受け止めてくれることで救われるのです。「自分のつらさをわかってくれる人がいる。」このことが患者さんにとってどれだけの救いになるか――。
 ~略~
体力がなく食事を十分に摂る力のない患者さんが、周りから「もっとがんばって食べて!」と声をかけられたら、つらく感じてしまうことも多いものです。患者さんは十分がんばっているのです。そのつらさを知っておかないと、患者さんはむしろ傷ついてしまいます。

このように食べられない患者がいたとき、そのつらさを知っていれば、「もう十分がんばっていることを認め、その上でどのようにすれば少しでも食べられるか一緒に考える関わり方」ができるはずです。
死に瀕するとき、どのようなつらさを抱えるのか知っておくことで、患者本人にとっての救いにもなれるのです。
幸いにも本書は発売後すぐ重版がかかり、多くの方に読んでいただくことができました。内容は普遍的であり、出版から1年以上が経過した今でも細く長くお買い求めいただいているようですし、読んでから受診してこられる患者さんもいらっしゃいます。本当にありがたいことです。

おわりに

今回noteをはじめた最大の理由は、決められたメディアの枠組みでは語り切れない、緩和ケアや終末期医療の情報について、一般の方に伝える場が欲しいと思ったことです。
第1回目は長くなってしまいましたが、私が長く大切に取り組んできた二刀流の緩和ケア医についてを交えた自己紹介、そして個人主義の時代になにをしたいかという決意表明に近いものを書かせていただきました。
今後も週1(毎週水曜日夜)を目途に更新していきますので、もしよろしければシェア、フォロー、♡などいただければ嬉しいです。


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