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地獄と極楽

私の育った家庭は禅宗のお寺の檀家で、法事の日や彼岸などの機会に和尚さんの法話を聞くのがひとつのイベントでした。その法話の中で特に印象に残っているものを紹介します。これは聴衆に死後の世界を解説している内容ですが私達のビジネスの上でも役立つ心掛けと思います。

地獄と極楽の風景

どちらにも大きな鍋があって、そこには美味しそうなうどんがグツグツ煮えています。ただしうどんを食べるには物干し竿のような長い箸を使う事になっています。

地獄界に落ちてきた人の場合は皆、利己的な心の持ち主ですから『俺が、俺が』と我先に食べようと釜の中に一斉に物干し竿のような箸を入れてうどんをすくいあげようとしますが、あまりに箸が長くてうまくつかめません。

その内にお互いに相手が掴もうとしたうどんを奪いあうような争いになり、うどんは飛び散るばかりで一向に誰の口にも入りません。運よくうどんをつかめたとしても、妨害によって自分の口まで運ぶ事ができません。結果としてそこにいる人たちは全員空腹のままです。それが地獄の光景です。

一方、極楽では条件は同じですが、非常になごやかです。皆、優しい思いやりの心の持ち主ばかりですから、自分の事を先に考えるのではなく、自分の長い箸でうどんを掴むと『お先にどうぞ』と言って釜の向こう側にいる人に先に食べさせてあげます。すると向こう側の人も『ありがとう、今度はあなたの番です』と言って、同じように食べさせてくれます。

だから物干し竿のような箸を使っても、お互いに感謝を述べあいながら、和気あいあいとうどんを食べる事ができます。結果として全員が満腹の状態が続きます。

阿鼻叫喚の巷と化している地獄と同じ環境、同じ条件、同じ道具立てにも関わらず極楽では全く違う様相を呈しています。これは正に、そこにいる人々の心の状態の差を示しています。

閻魔大王の裁き

今の時代の出来事

毎日の様にTVニュースで取り上げられていますが、国境をめぐる隣国とのもめ事は人々の大きな関心事です。この問題がクローズアップされると必ず所有欲が煽られて自国の損になりはしないかと愛国心が最重要課題のような気持ちになります。過去の戦争の多くはこれが原因でした。しかし人工衛星から見た地球の写真に国境線はありません。

地価が高騰した今の日本では隣との境界線によって、財産の価値が大きく変わります。住宅地のように塀や道路で区切られている部分については明確ですが、田畑や山林等は境界が不明確で、もめ事になるケースがあるようです。

また線には厳密にいうと幅があるので、その線のどちら側を境界にするかでもめ事になる場合もあります。ビジネスの場合も同じです。強欲な気持ちを抑えて隣人に譲る気持ちは相手にも伝わり、先々の繁栄と幸福につながるのではないでしょうか。

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