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自分の声

声について

先日ある人から『以前に比べて声に迫力が無くなった』と言われて、自分でも思い当たる所があるので、『何とかしなければ』と考えました。昭和の若大将と言われた加山雄三さんが小脳の出血で言葉が少し不自由になったけれどAIを使ったリハビリによりかなり回復されたと聞きました。

考えてみると自分の場合もコロナ禍により、人と会う機会が減って、お酒の場がなくなり、カラオケにも行けない事で、大きな声を出す機会がめっきり減ったと感じています。これではいけないので自分にとって何があるかと考えた末、毎朝仏壇の前に座り大声で般若心経をあげる事にしました。やり始めてみて、すごく気分がよくなる事も分かりました。

スマホは声を重んじる

多くの男性は話されたものより書き言葉に権威があると思っています。以前、会社に勤務していた頃の上司に『業務日誌等の書き物にしてください』と事あるごとに指導される部長がいてあまり尊敬できませんでした。書類は記録としてはいいのですが、そこにはニュアンスや声の響きはありません。一方、多くの女性は言葉が論理的であるという事より、ニュアンスを大切にします。

『ダメだよ』というのは、文字にしたら同じですが、言い方は色々あります。あたかも厳しく叱っている様なもの、励ましているもの、果ては『I love you』に近いものまであります。

女性は言葉の文字より音のニュアンスを重視します。スマホの価値はメールだけではありません。知っている者同士なら文章だけでもある程度のニュアンスは伝わりますが絵文字やフェイスマークを追加する事で文字に声の代わりになる感情を伝えようとします。

その点、スマホの強みはメールの文章だけではなく直接言葉でも話せる事と書き文字ではなく話し言葉をより大切にしている事です。話し言葉は文字にしてみると実は主語、述語が合っていないものや、文法的に間違っている事もいっぱいあります。

でも多くの感情は音声によって伝わります。音声のニュアンスを消したような本は読者に伝わりにくい。CMの世界で重要な成功のポイントは耳で聞く言葉です。多くの人の心に残るキャッチコピーは必ず心地よい音の響きを持っています。

書き言葉として完結している文章は音が無くても成立しているので、実は人の心には残りません。例えば『そうだ京都、行こう』はいいと感じます。平安時代に音だけを表現するひらがなができて、その後女性作家が活躍したのと同じようにスマホによる感情表現は新しい文化として成立しつつあるのではないでしょうか。

よく通る声

混雑した居酒屋やファミレスなどで、店員さんを呼ぶ時、声量はさほど大きくないのによく声が通る人がいます。よく通る声とは『共鳴している声』です。『すみませ~ン!』と大声では周囲の人達の会話に水を差す事もあるし、かと言って遠慮していても声は届きません。

アコースティックギターはボディに穴が開いていますが、その中の空間で音が共鳴しているからこそあのような音が鳴ります。オーディオのバスレフスピーカーも同様の効果を狙って開発されました。これらと同じように声を共鳴させるには、鼻の奥や口の中などの空間で声を共鳴させる必要があります。

試しに口を閉じたままで一定の音を出してみましょう。そしてその間にあくびをするような感じで喉を開いてみると、同じ強さでしか鼻声を出していなくても大きく響く事が分かります。

口の中の空間が広がった事で、元の音の強さが同じでも、より大きく共鳴しているからそのようになるのです。この発声をしてみると通る声が出せるようになります。

私の場合は、よく通る声を意識しながら心を込めて般若心経をあげる事で相手にとって聞き取り易い喋り方の練習をしていきたいと思います。意志が通じなければ、会話をする意味が無いし相手に不快感や不便感を与えます。それが元気のない年寄扱いされる事に繋がります。


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