和顔悦色施
私はもうすぐ70歳になりますが、一般のサラリーマンの人が定年を迎える60歳を過ぎる頃から残った人生をどう生きるか、という事が多くの人にとって主な課題になります。でも実はこれからが人生の本番の始まりです。『残されているのは余生だけだ』という人もいますが、とんでもない話です。もしもそれを余生と言うなら、その余生こそ真に価値あるものにしなければいけません。
それでは何をすべきなのでしょう。それはこれまで自分を育ててくれた社会への布施行、すなわち『施し』をすることです。恩返しをする事です。布施というと多くの人はお金や品物を僧侶やお寺に施すというふうに考えがちです。誰かに施しをするのは、金品を与える事だと。これは仏教では財施といいます。
しかし仏教でいうところの施しはそれだけではありません。形あるものを施す事だけでなく仏教には財が無くてもあるいは悟りの境地になくても誰もが出来る布施があります。それらは無財の七施と言い、『七施をさせて頂く』と言います。
これを書いている時にちょうど大徳寺のお坊さんが玄関のピンポンを鳴らして『ゴーマイデース』と言う声が聞こえました。それでいつものようにお米三合をレジ袋に詰めて玄関に持って行きますと、丁寧にお辞儀をなさいました。時節柄マスクをされていて顔全体は見えなかったのですが、その時の若いお坊さんの眼差しがあまりに良かったので大きく印象に残り『これだ』と思いました。
和顔悦色施
人の目に映る和やかな光は人々を慰めたり励ましたりする力があります。特に落ち込んでいる人は優しい眼差しで見つめられるだけでとても元気になります。初対面の人に対しては気の利いた言葉よりも優しい眼差しを贈る事です。その人を悪い人だと思わなくなるからです。
『話しやすそうな人だな』と好印象を持たれれば自然と会話も弾みます。思いがけない素敵な出会いに発展するかもしれません。口数が少ない人や、口下手な人でも周りから『何となくいい人だな』とか『癒しのムードメーカーだな』とか『あの人がいると場が和む』などと思われます。
その為のコツは自分の目線を相手の目に向ける事です。まず挨拶をする時は相手の目を見ます。ずっと見続けると相手が話しにくくなってしまうので見つめて10秒ほどしたら相手の口元や胸元に目線を移します。そして、相手の目に視線を戻します。時折『うん、うん』と頷きます。
この一連の動作を続けると『この人は、なんて丁寧に話を聞いてくれるのだろう』と相手は感動し、好印象を持ちます。
和顔悦色施は優しい微笑みの笑顔で人に接する事です。笑顔や微笑みをプレゼントするという意味です。笑顔は免疫効果を高めて病気になりにくくし、ストレス解消の効果もあるそうです。また最初は作り笑いでも、笑っている内に本当に気持ちも和らぎ、気分が上向きになると心理学では言われています。
無財の七施
他にも仏教でいうところの財が無くてもあるいは悟りの境地になくても誰もが出来る布施があります。それらは無財の七施と言い、『七施をさせて頂く』と言います。
1.眼施(げんせ)後輩や若い人に対して優しい眼差しを向ける
2.言辞施(ごんじせ)やさしく温かい言葉で話す
3.身施(しんせ)出来る限りの奉仕をする
4.心施(しんせ)他人の為に心を配る
5.床座施(しょうざせ)席や場所を他人に譲る
6.房舎施(ぼうしゃせ)家や自分の場所を誰かに提供する
和顔悦色施と併せてこれら無財の七施は自分の精神を高め、自分がこの世で役に立っている事を実感させてくれます。
そういう気持ちがあるからこそ『させて頂く』という発想になります。そして『させて頂く』という発想が出来た時、不思議と気持ちが柔らかくなります。そんな生き方に変わった時から本当の充実した人生がはじまります。『一隅を照らす』存在に近づけます。
『やらねばならない』と思う事や、『誰かの為にやってあげている』と思ってしまうと、その行為はたちまち苦になってしまいます。
この気持ちで生きる事ができれば、余生が人生の大切な部分になるのではないでしょうか。
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