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松下幸之助さんに学びました

40歳で起業した時、元々技術が好きで、人との接触が得意でなかった私は経営には関心が薄かった為にどうすればいいのか自信がありませんでした。それでも失敗はしたくないという気持ちから経営の神様と言われた松下幸之助さんの著書を読み、勉強させて頂きました。その中で当時なるほどと思った内容のいくつかを紹介させて頂きます。

先週チャーチルのメモを紹介させて頂きましたが、ポジションが上がるほど広いエリアでの判断を求められます。そこで上司への報告書は出来るだけ簡便に書く事を求めていますが、報告する方はどうしても自分目線になってしまい自分の専門分野については不必要に詳しくなってしまいます。上司はその辺りを理解して報告書を読む事と内容については自然の理に照らし合わせて判断する事が大事かと思います。

迷うより自然の理(ことわり)に身を任せる

経営の神様と呼ばれた幸之助さんは『人の力はせいぜい10%、あとは天地自然の理に従う事』と言っています。天地自然の理とは宇宙の法則、物事の道理という意味です。それに逆らう事なく、流れと一体になる事が成功のコツだというのです。『鳥が風を切って飛べるのも、魚が水中で暮らすのも自然の理。人の力で自然の理を変える事など出来ず、逆らおうとしても無理が生じるだけです』

『高山に風起ちやすく、深海に水量りがたし』悟りの高みに達したかと思えば煩悩の風は起きやすく、悟りの海がどれだけ深いのか想像さえつかない。というのは弘法大師空海の言葉です。原文は『宇宙の果てや悟りの境界がどこなのか、人の考えなどは及ばず、ただ永遠に真理である仏だけがご存じなのだ』と続いています。

悩んでも答えが出ない時は自然の理に身をまかせましょう。企業経営でも個人生活でも、もっと何か出来ないかとジタバタするより、天地自然の理に従い、あとの10%で出来る事を精一杯勤めればいいという事です。

運がいい

幸之助さんが81歳の時ラジオのインタビューで『なぜ成功できたのですか?』と尋ねられました。だが具体的な秘訣など無いし、まして教えられるものでもない。もし成功法を教えられるとしたらそれは薄っぺらなものになってしまうだろうと思いました。そこで彼は一言『運が良かったから』と答えました。分かったようで分かりません。答えになっているようでなっていません。

運がよかった? どんな強運に恵まれたというのか? 『まず、身体が弱かった。これが幸いしましたな』独立のきっかけも、日給制で休むと日銭が入ってこない。だから身体を養生しながら仕事ができるように奥さんをもらって独立した。寝床に就きながら年端もいかない丁稚小僧に指示を出す。それが期待以上の仕事をしてくれる。

『人を育てる事ほど面白い事はありませんな』『自分が元気だったら一人でやってしまう。結果として人材は育たなかったのではなかろうか。ところが身体が弱かったお陰で、人に任せる事を覚えた。世界に先駆けて事業部制を打ち出せたのも人材が育っていたからだ』

『学歴がありまへん。これが幸いしましたな』頭のいい人はできない理由を考えるのがうまい。それでいて、知らない。でも分からないとは言えない。頭のいい人は他人の意見に耳を貸さない。聞いてくれないから周りも誰があんな奴に話してやるかとなる。

幸之助さんは学歴が無いから人に聞いて勉強するのが大好きでした。『君、どう思う?』が口癖で耳学問のひとでした。

『運がいい』と思うこと

晩年、心身を傾けた松下政経塾の入塾志願者の最終面接は幸之助さん自身が執り行いました。質問は二つ『運が強いかどうか』『愛嬌があるかどうか』でした。将来国の経営を任せる人材になるかも知れない人間に運が悪い、人気が無いでは話にならないからです。

『僕は船場の小僧になった。ある人は中学に行った。その人が高校生の頃、僕は職工になった。僕が町工場を始めた頃、その人は最高学府で学んでいた。二人がそうなったのはそれぞれの意志や努力ではないのや。運命がそうなっていたから。と考えないわけにはいかんのですわ』

だからある大学で講演をした時、一番偉い人はどういうものかと聞かれた時、そら運の強い人ですなと答えたのです。この世に運のいい人、悪い人はいない。『運がいい』と思うか、『運が悪い』と思うか。違いはここにある。『運がいい』と考える人だけが運を味方にできるのかも知れない。宇宙の法則とはそういうものです。

自分の場合

過去の半生に起こった事を考えてみると幼い頃から既にこうなるように創造主に導かれていたのではないかと感じます。各々の節目において自分が選択してきたつもりですがその時はついてないと思った事でも時間が経ってから振り返ってみると『運がよかった』と思う事ばかりです。

起業を決めた時に読みました


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